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麻酔科医と薬物依存~診断と治療 [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年11月号より

Addiction and Substance Abuse in Anesthesiology.

初期治療
薬物依存を専門とする精神科医が診断と治療にあたる。薬物依存の診断が確定したら、薬物依存医師の受け入れが可能な入院施設に収容して治療を開始する。他の薬物依存医師とお互いに支援しあえるような施設であることが重要である。ほとんどの治療施設はミネソタ治療モデル(アルコール依存症治療モデルから作成された薬物依存治療プログラム)に基づいて運営されている。治療プログラムには、体内からの薬物除去(detoxification)、薬物非使用の監視、徹底した教育、自助グループへの参加および心理療法が含まれている。通常8-12週間で治療期間は終了するが、場合によっては6-12ヶ月間に延長されることもある。オピオイドやその他の麻酔薬の薬物依存であれば、通常は居住型治療施設に2ヶ月から一年間収容される。薬物依存の治療には医療保険からの給付が下りない(下りたとしてもごく少額)ため、負担はかなり大きくなる。居住型治療施設での治療には、一週間当たり3000から4500米ドルが必要である。

初期治療後の治療法
初期治療プログラムが成功裡に終了すると、社会復帰施設に4-8週間入所するかまたは直接自宅に戻ることになる。入院治療を終えた薬物依存医師が職場に復帰するには、州医学会などの組織による監督下に置かれる必要がある。監督は最短でも5年間継続され、監督機関のケースワーカによる定期的面接、職場での観察、抜き打ち尿検査および薬物スクリーニング検査が行われる。

断薬モニタリング
薬物依存から回復した者の断薬モニタリングには主に尿検査が用いられる。一般的な薬物依存に対する尿検査の費用は一回90米ドルほどであり、回復初期は週2-3回の検査が必要である。フェンタニル、スフェンタニル、プロポフォールなど一般的でない薬物のモニタリングの検査費用は通常より高額である。

オピオイド受容体拮抗薬
ナルトレキソンはナロキソンと似た、比較的純粋なμ受容体拮抗薬である。ナルトレキソンはナロキソンと異なり内服でも高い効果が得られるため、手術室に復帰する麻酔科医の薬物依存治療の一翼を担っている。ナルトレキソンのオピオイド受容体に対する競合的拮抗作用は24-48時間持続する。用法は、一日一回50mgまたは一回300mgを週三回である。ナルトレキソンのオピオイド拮抗作用は多量の(呼吸が即停止するぐらいの量の)オピオイド投与で打ち消される。ナルトレキソン処方には、体内からのオピオイド除去が必須である。オピオイドが抜けきっていない状態でナルトレキソンを服用すると重篤な禁断症状が現れる。ナルトレキソンの主な副作用は、腹痛、不安、関節痛、寒気、便秘、抑鬱、下痢、めまい、頭痛、射精障害、勃起不全、易刺激性、筋肉痛、悪心嘔吐、神経過敏、紅潮、睡眠障害である。

自助グループ
薬物依存医師の治療において自助グループへの参加は非常に重要な位置を占める。アルコール依存症自助グループの「12段階プログラム」が応用されている。

専門家による経過観察
治療施設からの退院後には薬物依存専門精神科医の定期的な診察を受けることを義務づけられることが多い。退院後当初は頻繁に受診しなければならないことが多いが、落ち着けば一ヶ月に1-2回受診する。

心理療法
薬物依存医師の回復初期にはグループ療法とともに心理療法が義務づけられる。これらの治療が当該医師の医療保険でカバーされなかったり、当該医師が失職のため無保険であったりする場合は、治療費はすべて自費負担となることに配慮が必要である。近年では、回復途上にある薬物依存医師に対する支援を強化するため、グループ療法に家族も参加することが重要であると考えられている。家族が治療に参加することによって転帰が改善するという報告がある。

超迅速解毒(Ultrarapid Detoxification)
薬物依存の第一段階は、detoxificationである。入院施設では、患者をdetoxification病棟に収容し禁断症状・徴候の監視と治療を行う。Detoxificationには数日を要し、患者は非常に大きな苦しみを味わう。最近では24時間以内にdetoxificationを完了するultrarapid detoxificationという方法を行う施設もある。この方法は、オピオイドの乱用は禁断症状を避けようとして発生するものであり、禁断症状を経験させないことによって再発を防ぐことができるという推論に基づいたものである。具体的には、通常は外来で、全身麻酔下にオピオイド受容体拮抗薬を投与する。終了後は、再発防止のためナルトレキソンの維持療法を行う。だが、薬物依存の発生に関与した心理的問題や患者の置かれている状況についての介入はほとんど行われない。この方法の長期的有効性(再発の防止)は、従来の方法を上回るものではないという結果が得られている。(つづく)

教訓 米国では薬物依存の治療には莫大な費用がかかります。ultrarapid detoxは再発防止には結びつかないようです。

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麻酔科医と薬物依存~予後と予防 [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年11月号より

Addiction and Substance Abuse in Anesthesiology.

予後
麻酔科に復帰すべきかせざるべきか
薬物依存になった麻酔科医が麻酔業務に復帰した場合の予後についてはほとんど研究されていない。薬物依存治療後の麻酔科医が麻酔業務に復帰することを許可することの当否については賛否両論があり結論は得られていない。以前は、指導医であれば転科するのが困難であることから復帰の機会が与えられ、レジデントはまだ若いので転科が勧められるという風潮があった。しかし、指導医は短期間の治療を終えると、いきなりもとのストレスフルなフルタイムの仕事をこなすことを求められ、リハビリ期間も与えられないことが多い。すると当然、結果は往々にして惨憺たるものとなる。一方レジデントの場合は、もう少し余裕のある対応が可能であるため、本人にやる気さえあれば麻酔科医をつづけることができる可能性がある。現在では、麻酔科医としてのレベルに関係なく、職場復帰については個別対応すべきであると考えられている。180名の薬物依存麻酔科レジデントに関する1990年の報告では、長期にわたり断薬が維持されることは稀であるためオピオイド乱用者は麻酔科からの転科が望ましいとされている。この報告で対象となった180名のうち、13名(7%)が無酸素脳症により死亡した。残り167名のうち、113名(67%)が麻酔科に復帰した。オピオイド依存の場合は、麻酔科復帰率は34%であった。麻酔科に復帰したオピオイド依存麻酔科医のうち66%は薬物依存が再発し、25%(13名)は死亡した。オピオイド以外の薬物依存の場合は、麻酔科復帰率は70%で、そのうち30%が再発、死亡は1例(13%)であった。2005年に発表された薬物依存の麻酔レジデントに関する論文でも同様の結果が報告されている。この論文では、麻酔科レジデントの薬物依存の治療が成功裡に終了しても、薬物依存の再発が起こりがたい他の科への転科を勧める方が、医師という職業を全うできる可能性が高いであろうと指摘している。この研究では、大多数の麻酔科レジデントが復帰を試みたものの、麻酔科レジデンシーを完遂したのはそのうち46%に過ぎなかったという結果が示されている。また、麻酔科に復帰したレジデントの死亡率は9%であった。9%もの死亡率は、どんな治療的介入であっても許容できるものではない。したがって我々は、レジデント、指導医、麻酔専門看護師のいずれの資格者であっても、薬物依存治療後に自動的に麻酔業務に復帰させることには賛同しない。個別に評価して復帰の可否を決めるべきである。薬物依存者の麻酔業務復帰についての以上の議論は、受け入れ側による復帰拒否という問題につながる可能性がある。薬物依存専門精神科医が麻酔科に復帰するべきではないという意見であれば問題はないと考えられる。しかし、精神科医が復帰を勧めた場合に、受け入れ側が拒否すると問題が生ずる可能性がある。アメリカ障害者法(sectionⅢE)の定めでは、受け入れを拒否する場合は、被雇用者が職務上の責任を果たすことができないことを証明する責任が雇用者に課されている。
再発の危険因子
治療が成功しても、薬物依存は再発する危険性がある。薬物依存になった医師292名を対象とした調査では、74名(25%)に再発が認められた。再発の危険因子は、薬物乱用・依存の家族歴、オピオイドの使用、精神科領域の基礎疾患である。
職場復帰契約
職場に復帰する場合は、当該麻酔科医は復帰契約に同意しなければならない。契約は個人の責任を明確に示したものである必要がある。当初3ヶ月間は夜間および週末待機は免除されるとともに担当症例にオピオイドを使用することが禁止され、その後治療担当医の再評価を受けるというのが復帰プログラムの例である。我々の施設(Mount Sinai Hospital)では、治療に専念し、今後の身の振り方を熟考する十分な時間的余裕を与えるため、少なくとも一年間は復帰させない。復帰後一年目は、常勤の三分の二または週40時間を超えない勤務とし、はじめの三ヶ月は待機も免除する。

予防
薬物依存予防の中心は薬品管理と教育であるが、薬品管理を厳重にし、薬物依存に関する教育を受けることを義務化しても、麻酔科医の薬物依存発生率は変わらなかったという報告がある。麻酔科医全員を対象とした抜き打ち薬物検査の必要性が物議を醸している。麻酔科責任者の61%が抜き打ち検査の必要性を認めているにも関わらず、実際に抜き打ち尿検査を実施している麻酔科研修プログラムは2002年の時点でわずか8%に過ぎなかった。
薬品管理
麻酔科医が薬物依存になる主因は、オピオイドや鎮静薬を簡単に入手できることである。薬品管理を厳しくすることによって、早期発見が可能になる。麻酔情報管理システムを用いることによって薬品をすり替えている疑いのある麻酔科医を特定することができる。電子記録であれば、オピオイド大量使用例や廃棄量が多い例を調べることができる。管理対象の薬品が残った場合は薬剤部に返却しなければならない。薬剤部では返却された薬剤を抜き打ちで検査し中身を確認する。
教育
麻酔科領域では、薬物依存についての教育には以前よりも多くの時間が割かれている。しかし、麻酔科医における薬物依存の発生率は低下していない。教育によって薬物依存が予防できるかどうかは分かっていない。薬物依存予防教育のビデオとして “Wearing Masks”および“Unmasking Addiction: Chemical Dependency in Anesthesiology”がある。(つづく)

教訓 薬物依存になった麻酔科医が治療後に麻酔科に戻ってきた場合は、薬物依存再発率が高いので周りの人は注意して下さい。再発した場合は、いきなり死亡ということが多いようです。USには麻酔科医を対象に抜き打ち尿検査を行っている施設もあります。
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麻酔科医と薬物依存~薬物検査の諸問題 [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年11月号より

Addiction and Substance Abuse in Anesthesiology.

検査法
尿検査
一般的な薬物スクリーニング検査の対象薬は検査施設によって異なる。モルヒネ、コデイン、メペリジンはスクリーニング対象となっていることが多いが、フェンタニル、スフェンタニル、アルフェンタニル、プロポフォールが標準的なスクリーニング検査の対象薬として採用されていることはない。スクリーニング検査で陽性であった場合は、ガスクロマトグラフィ/磁気共鳴分光法で確定検査を行う。尿検体採取時は、検体すり替えを防ぐために監視下での検体採取が必要である。検体すり替えの方法には、膀胱に「清浄な(薬物が含まれない)」人工尿を、尿道カテーテルを用いて、または恥骨上から自分で注入する方法や、リザーバー付き人工ペニスを用いる方法がある。人工尿はインターネットで入手することができる。また、尿検査を攪乱するようなお茶、ハーブ、なんらかの抽出物など多種多様なものが市販されている。薬物依存者には抜き打ち尿検査が義務づけられている。フェンタニルは常用している場合は、使用をやめても3-5日は尿中から検出される。尿中のフェンタニルはナノグラム単位でも検出することが可能である。フェンタニルの代謝産物であるノルフェンタニルはフェンタニル(100mcg)使用後最長96時間まで尿中から検出される。モルヒネ-3-グルクロニドはモルヒネの代謝産物で活性のない物質である。この物質は硫酸モルヒネ静注の1分後から血中から検出することが可能であり、最長72時間後まで尿中から検出される。メペリジンの代謝産物であるノルメペリジンは投与3日後まで尿中から検出される。
毛髪検査
麻酔科医が乱用する薬物の大半は半減期が短いため、尿または血液検体採取時の濃度は非常に低い。これらの薬物を常用している場合の尿/血液検査に代わる方法が、毛髪分析による検査法である。毛髪検査では月単位での薬物使用を検出することができる。しかし、検査対象者が頭髪を短く刈り込んだり、完全に剃髪したりして検査施設に現れることもしばしばあるためこの方法にも限界がある。その場合は、腋窩、胸、大腿、恥骨部などから検体を採取されることもある。検査が陽性の場合、検査対象者は否定することが多く、対象薬物の混入の可能性を考えなければならない。対象薬物が使用される環境に髪が曝露されて検査が陽性になることもある。
ナルトレキソン分析検査
この検査は不確実なので、ナルトレキソンが検出されないからといって対象者がナルトレキソンを指示通り服用していないと判断することはできない。ナルトレキソン投与を確実にするには、毎回誰かが見ている前で内服させるしかない。
検査の信頼性
薬物依存医師の検査には、医師と検査施設とのあいだに利害関係が存在する可能性がある。その場合、検査結果の正確性は疑わしい。
偽陽性の問題
ケシの実のはいったベーグルを三つ食べてから6時間後および22時間後に尿検査を行ったところ、コデインとモルヒネが陽性という結果が得られたという報告がある。これは偽陽性ではない。コデインやモルヒネを使用した場合と同じ物質が実際に検出され陽性反応が示されたのである。薬物依存の治療中の者にはケシの実を摂取しないようにという注意が与えられる。他にも、処方薬ではない薬剤などの服用で薬物尿検査が陽性になることがある。
検査費用
初回の薬物スクリーニング検査は対象者の所属機関が負担するが、薬物依存治療後のモニタリング検査の費用は本人負担であることが多い。ニューヨーク州のある検査施設では、フェンタニルの尿検査が一回32.50米ドル、プロポフォールの場合は290米ドルである。毛髪検査は一回あたり1000米ドル以上の費用がかかる。通常、治療後モニタリングプログラムでは一ヶ月に6-8回の検査が求められるため、対象者は高額の負担を強いられる。前もって検査に必要な費用についてはっきりさせておき同意を得る必要がある。医学会または病院が値引き(団体割引)の手配をすることが多い。

まとめ
麻酔科医は依存性の高い薬物が簡単に手に入る環境で働いている。薬物依存の症状と徴候を麻酔科医一人一人が知ることが、同僚と患者の安全を守ることにつながる。薬物依存になっても麻酔科医として復帰し、薬物依存の再発もないというケースもあるが、必ずしも誰にでも当てはまるわけではない。薬物依存治療を完遂したからといって、将来にわたって再発が起こらないという保証にはならない。薬物依存に陥った麻酔科医が、麻酔科医として復帰する場合は、事前に十分な注意深い個別の評価を行わなければならない。

教訓 尿検査の検体は他人が見ている前で採取されます。しかし、巷には人工尿などが出回っているので検体が本当に本人のものかどうかは分かりません。薬物依存になった麻酔科医は、麻酔科には復帰しない方が身のためのようです。

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アプロチニンvsトラネキサム酸&アミノカプロン酸 [anesthesiology]

NEJM 2008年5月29日号より

A Comparison of Aprotinin and Lysine Analogues in High-Risk Cardiac Surgery

CABG再手術、弁膜症手術、CABGと弁膜症手術の合併手術などの高リスク心臓手術は、初回CABGよりも死亡、大量出血、腎不全、血栓性合併症の発生リスクが高い。心臓手術における出血量と輸血必要量を減らす目的でセリンプロテアーゼ阻害薬のアプロチニンとリジン類似薬のトラネキサム酸とアミノカプロン酸が用いられてきた。三剤ともプラセボと比較し輸血必要量を減少させることが臨床研究で明らかにされている。しかし三剤のうちいずれが最も有用であるのかという点については、様々な議論のあるところであった。4時間の心臓手術において用いられるアプロチニンの価格は1400ドル以上であるが、アミノカプロン酸であれば4ドル未満で済む。アプロチニンの使用により心血管系および脳血管合併症と腎不全の発生率と短期および長期死亡率が上昇するという報告もある。本研究では高リスク心臓手術の術後大量出血を予防するのにアプロチニンがトラネキサム酸およびアミノカプロン酸よりも有効であるか否かを無作為化試験で検証した。また、アプロチニンとリジン類似薬二剤の致死的術後合併症低減効果の優劣についても併せて評価した。

BART(Blood Conservation Using Antifibrinolytics in a Randomized Trial) studyは心臓手術で広く用いられている三種の抗線溶薬を比較検討した、多施設盲検無作為化比較対照試験である。平均死亡率がCABGのみの初回手術の少なくとも2倍以上であり、再手術率が5%以上の人工心肺を使用する高リスク心臓手術を受ける患者を対象とした。2002年8月から2007年10月にかけてカナダ国内に所在する19ヶ所の心臓手術実施施設から19歳以上の患者を収集した。CABGのみの初回手術、MVRまたはAVRのみの手術、稀な手術(心移植、LVAD装着術、先天性心疾患の手術)は除外した。患者は無作為にアプロチニン、トラネキサム酸、アミノカプロン酸のいずれかに割り当てられた。アプロチニン群では、中心静脈カテーテル留置および麻酔導入の後にアプロチニン4万KIUを10分間かけて試験投与し、アナフィラキシー反応が観られなければ初回投与量の残りの分(196万KIU)を投与した。初回投与終了後、維持量として50万KIU/hrを手術終了まで投与した。人工心肺回路からは200万KIUを追加投与した。アミノカプロン酸群では、中心静脈カテーテル留置および麻酔導入の後にアミノカプロン酸200mgを10分間かけて試験投与し、アナフィラキシー反応が観られなければ初回投与量の残りの分(9800mg)を投与した。初回投与終了後、維持量として2000mg/hrを手術終了まで投与した。人工心肺回路からは追加しなかった。トラネキサム酸群では、生食250mLにトラネキサム酸30mg/kgを溶解したものを初回投与分として用意した。中心静脈カテーテル留置および麻酔導入の後に初回投与分のうち5mLを10分間かけて試験投与し、アナフィラキシー反応が観られなければ残りを投与した。初回投与終了後、維持量として16mg/kg/hrを手術終了まで投与した。人工心肺回路からは2mg/kgを追加投与した。主要転帰は術後大量出血(術後8時間に胸腔ドレーンから1.5L以上の出血がある場合)または大量輸血(術後24時間に赤血球製剤10単位以上投与)とした。プロタミン投与後24時間以内の出血または心タンポナーデによる再手術と、調査対象期間である30日間に発生した出血死も主要転帰に含んだ。二次転帰は院内死亡、術後30日までの全死因死亡および重篤な有害事象(心筋梗塞、脳血管障害、腎不全、呼吸不全、心原性ショック)とした。腎不全の基準は透析を一度でも実施した場合、クレアチニン値が術前値の二倍以上に上昇またはクレアチニン値1.7mg/dL以上の場合とした。呼吸不全は挿管下人工呼吸を48時間以上実施した場合とした。心原性ショックは血管収縮薬と強心薬を投与した場合、IABPまたはVADを使用した場合とした。三次転帰はICU死亡、退院時死亡、血液製剤使用量および入院期間とした。入院期間は手術日から退院日までの日数(手術日を1日目として数える)とした。

2331名がITT解析の対象となった。781名がアプロチニン群、770名がトラネキサム酸群、780名がアミノカプロン酸群に割り当てられた。アプロチニン群の1名については生死以外の転帰についてのデータが得られなかった。本研究は2163名の患者が集積された時点で行われた中間解析の結果、アプロチニン群の死亡率が他の二群と比較し相当高いことが分かったため2007年10月16日に当初計画より早期に中止されることになった。2330名中261名(11.2%)が大量出血の定義を満たし、内訳はアプロチニン群74名(9.5%)、トラネキサム酸群93名(12.1%)、アミノカプロン酸群94名(12.1%)であった(アプロチニン群の他二群に対する相対危険度0.79; 95%CI, 0.59-1.05)。2331名中108名(4.6%)が無作為化割当後30日以内に死亡した。全死因30日死亡率は、アプロチニン群6.0%、トラネキサム酸群3.9%(相対危険度1.55 ; 95%CI, 0.99-2.42)、アミノカプロン酸群4.0%(相対危険度1.52 ; 95%CI, 0.98-2.36)であった。トラネキサム酸群とアミノカプロン酸群をあわせると全死因死亡率は3.9%でありこれに対するアプロチニン群の死亡相対危険度は1.53(95%CI, 1.06-2.22)であった。心臓関連死はアプロチニン群が25名(3.2%)、トラネキサム酸群10名(1.3%)(相対危険度2.47; 95%CI, 1.19-5.10)、アミノカプロン酸群13名(1.7%)(相対危険度1.93; 95%CI, 0.99-3.47)であった。アプロチニン群と他二群をあわせた群とで比較してもアプロチニン群では死亡率が高く相対危険度は2.19であった(95%CI, 1.25-3.84)。他の死因による死亡率は三群とも同等であった。心筋梗塞、脳血管障害、腎障害、腎不全の発生率、他の臓器不全の発生率も同等であった。2330名中1439名(61.8%)が少なくとも1単位の赤血球製剤を投与された。内訳はアプロチニン群780名中419名(53.7%)、トラネキサム酸群770命中506名(65.7%)、アミノカプロン酸群780命中514名(65.9%)であった。アプロチニン群の赤血球輸血相対危険度は対トラネキサム酸群では0.82、対アミノカプロン酸群では0.81であった。アプロチニン群における他の血液製剤(血小板以外)の投与量はトラネキサム酸群とは同等、アミノカプロン酸群よりは少なかった。アプロチニン群のICU滞在日数中央値は1.2日、トラネキサム酸群1.5日(P=0.16)、アミノカプロン酸群1.8日(P=0.22)であった。アプロチニン群の入院期間中央値は8.0日、トラネキサム酸群8.5日(P=0.22)、アミノカプロン酸群8.0日(P=0.17)であった。

高リスク心臓手術患者にアプロチニンを投与すると、トラネキサム酸またはアミノカプロン酸を投与した場合と比較し死亡率が2%ポイント上昇する(約4%から6%へ上昇)。この死亡率の上昇を死亡発生必要数になおすと50名となる。死亡した108名のうち心原性ショック、右心不全、うっ血性心不全、心筋梗塞で死亡した患者数はアプロチニン群が他の二群より有意に多く、2倍にのぼった。過去に行われた観測研究ではアプロチニンと腎障害または腎不全の関係が指摘されているが、今回の研究ではアプロチニン群においてクレアチニン値が術前の2倍以上に上昇した患者の割合が多かったものの腎不全発生リスクの上昇や腎代替療法実施率についての有意差は認められなかったが、透析施行例が少なかったため十分に評価ができなかった可能性がある。Brownらのメタ分析ではアプロチニン大量投与で腎不全の相対危険度が有意ではないが上昇するという結果が得られている。今回の研究でもアプロチニン群においてクレアチニン値上昇のリスクが有意に高かった。アプロチニンは止血効果においては他の二剤よりも優れている可能性があるが、今回の調査では再手術率および胸腔ドレーンからの大量出血の二項目のみはアプロチニン投与によって改善する可能性があると考えられたが、主要転帰の他の二項目(大量輸血および出血死)については他の二剤と同等であった。したがって、アプロチニンは大量出血の発生を抑制するとは言い難く、大量出血患者の救命率を向上する効果も認められない。今回の対象患者は高リスク心臓手術症例に限ったため、以上の結果が他のアプロチニン適応例においても当てはまるかどうかは不明である。ただし、サブグループ解析では65歳未満や基礎疾患のない患者群でもアプロチニン使用によって死亡率が上昇するという結果が得られている。アプロチニンは高リスク心臓手術患者において大量出血を抑制する可能性はあるとは言うものの、リジン類似薬と比較し死亡率を上昇させる強い傾向が認められた。

教訓 アプロチニンはトラネキサム酸&アミノカプロン酸よりも死亡率を上昇させる上に高価で、踏んだり蹴ったりな薬です。

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BMS留置後の予定手術までの待機期間 [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年10月号より

Time and Cardiac Risk of Surgery after Bare-metal Stent Percutaneous Coronary Intervention.

ベアメタルステント(BMS)は10年以上前から使用されている。薬剤溶出ステント(DES)は米国では2003年から市販がはじまった。現在ではPCIの大部分の症例にDESが用いられているが、患者の臨床的特性によっては今でもBMSが使用される場合もある。ステント血栓症は重大な合併症である。BMSによるPCI後にはアスピリンとクロピドグレル併用による抗血小板療法が実施される。この二剤併用療法を行った場合のBMS留置 30日後のステント血栓症発生率は0.5%以下である。ステントを留置された患者のうち約5%が、PCI後1年以内に非心臓手術を受ける。抗血小板療法による周術期出血量増加リスクと、手術が招く凝固能亢進によるステント血栓症発生リスク上昇とを比較考量しなければならない。ACC-AHAガイドラインではBMS留置症例では、非心臓手術実施まで少なくとも6週間の待機期間を設けるべきであると推奨されている。本研究では、術後主要心臓合併症(major adverse cardiac events; MACEs)と出血性合併症のリスクは、BMS留置後の非心臓手術までの待機期間と相関するという仮説を検証した。

1990年1月1日から2005年1月1日までの期間にMayoクリニックでBMS留置後1年以内に非心臓手術を受けた患者899名を対象としカルテを基に調査を実施した。非心臓手術に関連したMACEs(死亡、Q波心筋梗塞、非Q波心筋梗塞、ステント血栓症、PCI再実施またはCABGを要する再狭窄)と手術による出血性合併症(血小板製剤、新鮮凍結血漿またはクリオプレシピテート投与を必要とする出血)について調べた。

BMS留置から非心臓手術実施までの待機期間中央値は64日(四分位範囲27-182日)であった。対象となった899名中47名(5.2%)に一件以上のMACEsが発生した(死亡31例、Q波心筋梗塞12例、非Q波心筋梗塞6例、ステント血栓症9例、PCI再実施またはCABGを要した再狭窄12例)。単変量解析で明らかになったMACEsと有意な相関のある因子は、急性冠症候群に対するPCI実施(P=0.013)、PCIに至るまでに発生した心原性ショック(P<0.001)、PCI不成功(P=0.002)、PCI後アスピリンまたはチエノピリジン非使用(P=0.017)、ACC-AHAによる手術リスク分類(P-0.003)、全身麻酔(P=0.046)、ステント留置から手術までの日数(P=0.003)であった。BMS留置後30日以内に非心臓手術を実施した場合のMACEs発生頻度は10.5%、31-90日後では3.8%、91日以降の非心臓手術実施例では2.8%であった。単変量解析では、BMS留置後の待機期間が短いほどMACEs発生頻度が上昇することが明らかになった(P<0.001; PCI 後91日以降に非心臓手術を行う場合と比べ、0-30日の場合のOR=4.0、31-90日の場合のOR=1.4)。年齢、全身麻酔、PCI前の心原性ショックおよびPCI成功について多変量解析を行い調整したところ、MACEs発生ORはPCI後0-30日では3.2、31-90日の場合は1.4であった。傾向スコアによる調整後のORも同様であった。赤血球以外の輸血(血小板、FFP、クリオプレシピテート)を要する外科的出血は43名(4.8%)に認められた。血小板製剤は33名に、FFPは29名に、クリオプレシピテートは5名に投与された。非心臓手術後PCI後30日以内に非心臓手術を実施した場合の出血性合併症発生頻度は6.9%、31-90日後の非心臓手術実施の場合は4.6%、91日以降の場合は3.6%であった。単変量解析では、PCI後の待機期間が長いほど出血性合併症頻度が低下する傾向が認められたが(P=0.046; 待機期間が30日延長するとOR0.90)、30日以内、31-90日後、91日以降の三群での比較では有意差は認められなかった。出血性合併症と有意な相関を持つその他の因子は、心筋梗塞の既往(P=0.016)、緊急手術(P=0.016)、手術リスク分類(P<0.001)、全身麻酔(P=0.002)であった。心筋梗塞の既往と手術リスク分類について多変量解析および傾向スコア法による調整を行ったところ、BMSを用いたPCI後の非心臓手術までの待機期間と出血性合併症発生頻度との間に有意な相関は認められなかった。

BMSを用いたPCI後は、少なくとも6週間の待機期間を設けて予定非心臓手術を実施すべであると推奨されている。6週間あればBMSの内皮化が期待できるため、ステント血栓症発生リスクが低下するという推測に基づいて、この6週間という待機期間が提唱されている。今回の研究は、BMS使用PCI後非心臓手術における周術期MACEsと出血性合併症についての最も大規模な評価研究である。本研究では、PCI後非心臓手術までの待機期間とMACEs発生頻度のあいだに明白な相関が認められた。出血性合併症に関しては待機期間との関わりは認められなかった。BMS留置後間もなく手術を行う場合、出血性合併症を懸念して抗血小板療法を中止すると、周術期ステント血栓症発生リスクが上昇する。BMS留置後の抗血小板薬二剤併用療法は、平均4週間実施される。今回の調査では、術前7日以内までの抗血小板療法の継続と虚血性または出血性合併症発生リスクのあいだに有意な相関は認められなかったが、ステントの完全の内皮化と二剤併用抗血小板療法の十分な実施のためには少なくとも90日の待機期間を設けるべきであると考えられる。二剤併用抗血小板療法実施中またはBMSを用いたPCI後90日以内に緊急手術や準緊急手術が必要になった場合は、虚血性イベントや出血性合併症が発生する危険性を念頭に注意深く対応し、術後抗血小板療法について循環器専門医に意見を求めるべきである。

BMS留置後非心臓手術を実施した場合、待機期間が短いほど心臓合併症発生頻度が高かった。BMSを用いたPCI実施後に非心臓手術を行うときは、可能であれば少なくとも90日間の待機期間を設けるべきである。出血性合併症の発生頻度と、PCI後待機期間および非心臓手術実施前7日以内の抗血小板療法実施の有無とのあいだに相関は認められなかった。

参照:DES留置後の予定手術までの待機期間

教訓 BMS後の予定手術までの待機期間は90日です。DESでは1年です。術前に抗血小板療法を実施していても出血性合併症は増えないようですが、日本でも当てはまるかどうかは分かりません。


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ワーファリンの緊急拮抗~治療の選択肢 [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年11月号より

Perioperative Hemostatic Management of Patients Treated with Vitamin K Antagonists.

はじめに
先進国では血栓塞栓症予防目的でワーファリン、アセノクマロール、フルインジオンなどの経口抗凝固薬を投与されている患者が増えている。これらの薬剤はビタミンK拮抗薬(VKA)であり、第Ⅱ、Ⅶ、ⅨおよびⅩ因子、プロテインC、プロテインSのγカルボキシル化を阻害する。これらの凝固因子はγカルボキシル基がないと、陰性荷電リン脂質の表面に存在するカルシウムイオンに結合することができない。ビタミンK拮抗薬(VKA)は、人工弁、心房細動、深部静脈血栓症などの患者や脳血管障害に代表される血栓塞栓症発症リスクの高い患者に長期間投与される。ビタミンK拮抗薬には出血性合併症という副作用があるとともに、治療域が狭い。目標INRは2.0-3.0であるが、年齢、体重、食習慣、性別、人種などによりビタミンK拮抗薬(VKA)の作用発現が影響されるため、適切な治療域を維持するのが困難なことも少なくない。一年間に抗凝固療法中の患者の約1-4%に消化管出血、尿路出血などの重大な出血性合併症が認められる。頭蓋内出血の年間発生率は0.25%から1%であると報告されている。

抗凝固療法中の患者が手術を受ける場合は、術前に凝固能を正常化しなければならない。予定手術の場合はVKAを手術の約4日前に中止するとINRがほぼ正常範囲(0.8-1.2)に戻るため、出血のリスクはほとんど無視しうるほどになる。欧州で用いられているフェンプロクモンはワーファリンよりも半減期がかなり長い(160-170時間 vs 30-40時間)。したがってフェンプロクモンを投与されている患者の場合は、休薬期間を4日より延長しなければならない。血栓塞栓症発生リスク中~高の場合は、INRが正常化していれば手術2日前から術前までのヘパリン投与が推奨されている。INRが1.3-1.5の場合はワーファリンを中止する必要はない。また、ほとんどの歯科治療において経口抗凝固療法を中止する必要はない。

抗凝固療法中の患者の外傷や緊急手術の際には、術前にビタミンK依存性凝固因子を急速補充しなければならない。重症肝機能障害の患者でも凝固因子減少が認められるため、同様に凝固因子を補充する必要がある。しかし、最近の研究では、肝機能障害による凝固因子減少の場合は阻害因子も減少しているため、必ずしも凝固因子を補充しなければならないわけではないことが明らかにされている。VKA療法中の患者において、止血困難な周術期出血が発生したときは、第Ⅱ、Ⅶ、ⅨおよびⅩ因子補充による迅速な凝固能の補正が必要である。VKAを投与すると、第Ⅸ因子は正常の1-3%まで、第Ⅱ、ⅦおよびⅩ因子は正常の30-40%まで低下する。

抗凝固薬拮抗の選択肢
抗凝固薬の作用を拮抗する治療法には、ビタミンKの経口または経静脈投与、新鮮凍結血漿(FFP)、プロトロンビン複合体濃縮製剤(PCCs)、遺伝子組み替え活性型第Ⅶ因子(rFⅦa)がある。ビタミンKはVKA療法中の非緊急的な凝固能補正に用いられる。ビタミンKの作用は静注後4-6時間後、内服後少なくとも24時間後にしか発現しない。したがって、迅速なINR正常化が必要な場合はビタミンKの投与のみでは不十分である。麻酔領域ではVKAの拮抗にはFFP、PCCsまたはrFⅦaが用いられることが多い。クリオプレシピテートにはVKAに拮抗する凝固因子が含まれていないため、この場合の適応はない。

北米ではVKAの拮抗に主に使われているのはFFPである。採血後8時間以内に凍結され、使用期限は12ヶ月である。FFPの一般的な適応は特定の凝固因子製剤が入手できない場合や、特定の凝固因子製剤の投与による治療が不適切な場合である。欧州ではウイルス混入がないことを保証するため6ヶ月間の検疫期間が設けられている。米国では採血後24時間以内に凍結する24時間FFPに切り替わりつつある。24時間FFPに含まれる第Ⅷ因子は従来のFFPより減少するが、その他の凝固因子については8時間以内凍結の製剤と同等である。メチレンブルーによりウイルスを不活化した血漿製剤は、欧州の数カ国で使用されている。溶剤洗浄剤処理によりウイルスを不活化した血漿製剤もあるが、米国では使用されていない。

プロトロンビン複合体濃縮製剤(PCCs)は、第Ⅱ、Ⅶ、ⅨおよびⅩ因子を含有する製剤である(四因子の一部しか含まない製剤もある)。ビタミンK依存性凝固因子欠乏に適応のあるPCCは数少ない(Beriplex P/N, Octaplex)。この二製剤は米国では市販されていない。米国で市販されているPCC(FEIBA VH, Profilnine SD, Bebulin VH)の適応は血友病であり、主に第Ⅸ因子を含有する製剤である。したがって抗凝固薬の拮抗に用いるのは適応外使用である。PCC製造の際は必ずウイルス不活化処理(濾過、殺菌または溶剤洗浄剤処理)が行われている。さらに、大多数の製剤には凝固制御因子(プロテインC、プロテインS、プロテインZ、ATⅢまたはヘパリン)が含まれている。このため、凝固因子を増加させつつも、止血機能のバランスが維持され過凝固に陥らないようになっている。VKAの緊急拮抗の目的でPCCを投与すると、プロテインCは100%増加し、第Ⅱ、Ⅶ、ⅨおよびⅩ因子はそれぞれ85%、61%、81%、115%増加すると報告されている。同研究では、健康被験者にPCCを投与したところ、投与後5分以内にプロテインCおよびプロテインSがそれぞれ149%、59%増加するという結果が得られている。凝固制御因子によってPCCsの血栓性合併症リスクは抑えられているものの、添付文書には血栓性合併症発生リスクがあることが記載されている。活性型凝固因子を投与すると血栓性合併症および心筋梗塞が発生する可能性がある。米国で市販されているPCCのうちFEIBAは活性型第Ⅶ因子を含有する。しかし、FEIBA投与による血栓性合併症発生頻度は10万回投与につきわずか4-8件である。PCCsは粉末製剤であり冷所保存しなければならない。投与前に室温に戻し溶解する。

遺伝子組み換え活性型第Ⅶ因子は、第ⅧまたはⅨ因子に対する抗体を持つ血友病患者の止血に用いられる。しかし危機的出血における有効性についても広く研究が行われている。(つづく)

教訓 ワーファリンなどのVKAの拮抗には、プロトロンビン複合体濃縮製剤、FFP、ビタミンK、第Ⅶ因子が用いられます。日本で市販されているプロトロンビン複合体濃縮製剤には、ファイバ、プロプレックスST(ともにバクスター) などがあります。

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ワーファリンの緊急拮抗~PCC vs FFP [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年11月号より

Perioperative Hemostatic Management of Patients Treated with Vitamin K Antagonists.

治療ガイドラインと緊急時の対応
米国のガイドラインでは、危機的出血がありINRが上昇している患者における抗凝固薬の拮抗の第一選択としてPCCs(プロトロンビン濃縮製剤)が推奨されている。rFⅦaも有効である可能性があるとされている。抗凝固薬の拮抗が緊急的に必要な場合は、PCCsの投与とともに、ワーファリンおよびその誘導体を中止しビタミンKを投与(10mgをゆっくり静注)しなければならない。危機的ではないが重篤な出血がある場合も同様の治療を行うが、PCCsまたはrFⅦaの代わりにFFPを投与してもよいとされている。ヨーロッパのガイドラインでも同様の対処法が推奨されている。しかし、多くの麻酔科医は危機的出血の場合もINRを正常化する目的でFFPを投与している。米国では、FFPの適応にこのような場合の使用が含まれていることや、抗凝固薬拮抗の適応があるPCCが市販されていないことが原因であろうと考えられる。しかし、欧州では抗凝固薬拮抗の適応があるPCCが市販されているにも関わらず、医師の19%しかガイドラインに準拠した治療を行っていない(大多数はPCCsではなくFFPを使用している)。PCCsは作用発現が早いため緊急時の抗凝固薬拮抗に用いる薬剤として適している。PCCsの投与量は第Ⅸ因子の投与量に基づいて決定する。通常は常用量を特に変更することなく投与することが多い。INR 5未満の場合、500単位(約7単位/kg)の投与で迅速な補正が可能であるとされている。

凝固能のモニタリング
凝固能のモニタリングに広く用いられているのはプロトロンビン時間(PT)である。PTは外因系の凝固活性を評価する検査法である。第Ⅱ、Ⅶ、Ⅹ因子が減少すると延長する。試薬によって測定値にばらつきが生じるため、測定値を標準化したINRで表記される。PT-INRが不正確になるのは、PT測定値が不正確、国際感受性指標が不正確、測定器械の不調、ループス抗凝固因子の影響、INR 4.5以上(INR校正の閾値を外れるため)などの場合である。ワーファリン投与中の患者では抗凝固作用の評価にはPTよりも抗プロトロンビン抗体の測定の方が適しているとされている。また、PTは血漿中で生成されるトロンビンの量を反映しない。PCCとrFⅦaの比較研究では、二剤ともVKAを拮抗しPTを正常化させたが、トロンビン生成を正常化したのはPCCのみであることが分かった。他の研究でも、INRに第Ⅱ、Ⅹ因子量は反映されないことが示されており、INRが5を超えるような患者においてはINR値ではなく臨床的な判断で凝固能拮抗の程度を評価するべきであるという意見もある。以上から、INRは無謬の検査方法ではないと言える。抗凝固薬の拮抗の目的は、INRの正常化ではなく、トロンビン生成が適切に行われ凝固能が正常に発揮されるようにすることである。

プロトロンビン複合体濃縮製剤 vs 新鮮凍結血漿
緊急的に止血が必要な状況においてプロトロンビン複合体濃縮製剤(PCCs)を投与すると、抗凝固作用が強く発現している患者であっても、INRが速やかに正常化する。手術、観血的処置、活動性出血などのため抗凝固作用を緊急に拮抗しなければならない患者8名を対象とした研究では、PCC投与前に平均3.4であったINRが、PCC(中央値3600単位)投与後10分以内に、7名のINRが1.3未満、1名のINRは1.4に低下したという結果が得られている。臨床的にも効果は良好で、血栓塞栓症などの副作用も認められなかった。43名の患者を対象とした別の研究でも、PCC投与後30分以内にINRが1.3未満に低下したと報告されている。PCCsとFFPを比較した研究では、INR補正効果はPCCsの方が優れているという結果が複数の研究で得られている。たとえば、FFP 4単位を投与された患者ではINRが2.3であったが、PCC 25-50単位/kgを投与された患者では1.3であり、FFP投与群の最低INRは1.6(つまり目標値である1.5未満を達成できなかった)であったという報告がある。また、INR補正効果の発現は、PCCsの方がFFPより4~5倍早いとされている。しかし、米国ではPCCsは抗凝固薬の拮抗の適応はないのに反し、FFPには同適応がある。FFPと比較した場合のPCCsの利点の一つに、抗凝固作用を拮抗するのに必要な投与量が少ないことが挙げられる。FFPは通常およそ15mL/kgが投与されるが、出血制御が困難な場合には30mL/kg程度が投与されることもある。また、FFP 800mLを投与しても第Ⅱ、Ⅶ、ⅨおよびⅩ因子は平均9-14単位/mL程度しか増加しないことが明らかにされている。FFPと違いPCCは1-2mL/kgの投与量で抗凝固作用の拮抗が可能であるため、過剰輸液のリスクがFFPよりも低い上に、投与開始から終了までの時間も短い。さらに、PCCsは製剤を準備するのに要する時間がFFPよりも短い。PCCsの中には室温保存が可能で加温の手間がかからない製剤もあるが、FFPは加温融解するのに相当な時間を要する。PCCsは血液型と関係なく投与できるため、この点においても製剤の準備に要する時間がFFPよりも短くなる。診断からINR正常化までにかかる時間は、PCCsでは約15分であるのに対し、FFPでは1-2時間である。FFPにはウイルスまたはプリオン汚染の可能性がある。現在では、検査精度の向上やウイルス不活化技術によりこの可能性は以前よりは低いとはいえ、依然としてゼロではない。PCCsもFFPと同様に血漿から製造されるが、複数のウイルス不活化工程(製剤によって異なる)を経て製造されるため安全性はFFPより高いと考えられる。あるPCCの製造に用いられている不活化技術では、HIV、肝炎ウイルス(A,BおよびC)、HSV-1、ポリオウイルス1型、インフルエンザウイルス、パルボウイルス、ウエストナイルウイルスおよびプリオンを不活化することができる。FFPの重大な副作用の一つに輸血関連急性肺傷害(TRALI)がある。PCCsでTRALIが発症する可能性が指摘されたことはない。PCCsに関わる最大の危険性は、脳卒中、心筋梗塞、肺塞栓、DIC、深部静脈血栓症などの血栓性合併症である。最近市販されているPCCsは血栓症発生リスクを抑制するような成分(凝固阻害因子を含有、活性化因子使用の減少、各凝固因子の量が均等)に変わってきているため、以前よりも血栓性合併症発生リスクは低下している(FFPは血漿中に含まれるすべての凝固阻害因子が含まれている)。PCCsの中には、プロテインC、プロテインS、AT-Ⅲなどを含むものがあるが、含有量はいずれも示されていない。最近の研究では、製剤によって含有量が相当異なることが明らかにされている。現在までにPCCsは抗凝固薬拮抗の目的で広く使用されているが、血栓性合併症発生リスクは低いことが分かっている。健康被験者を対象とした研究では、PCC 50単位/kgを投与したところ、投与後5分以内に第Ⅱ、Ⅶ、ⅨおよびⅩ因子が62%から158%増加するものの、D-dimerの有意な上昇も血栓性合併症も認められなかったという結果が得られている。しかし、PCCs投与によって血栓性合併症が発生したという報告はある。PCCに含有される第Ⅱ因子が多いと血栓性合併症発生リスクが上昇するという指摘もある。

プロトロンビン複合体濃縮製剤 vs 遺伝子組み替え活性型第Ⅶ因子
抗凝固薬の拮抗において遺伝子組み替え活性型第Ⅶ因子(rFⅦa)が安全かつ有効であるという報告がある。米国ではrFⅦaには抗凝固薬拮抗の適応はない。欧州でも同様であろう。PCCsと同様にrFⅦaはFFPと比較し投与量が少なくて済み、製剤の準備にも時間がかからないという利点がある。PCCとrFⅦaは同等にPTを短縮するものの、PCCの方がトロンビン生成については優れているという実験結果が報告されている。PCCsの方がビタミンK依存性凝固因子をバランスよく含有しているため、rFⅦaよりも有効性が高いと考えられる。

まとめ
抗凝固薬を投与されている患者における緊急手術や術中出血の制御にはPCCsによる抗凝固作用の迅速な拮抗が不可欠である。多くの症例でこのような状況下で未だにFFPが用いられている。しかし、ガイドライン(American College of Chest Physicians)では、FFPより作用発現が早く、短時間で製剤を準備することが可能で、過剰輸液・ウイルス感染・TRALIの危険性が低いという利点があるためPCCsを抗凝固薬拮抗の第一選択として推奨している。rFⅦaも有効である可能性はあるが、現時点ではデータが不足している。今後は臨床評価が進んでいる経抗Xa剤の拮抗についても最適な方法を確立する必要がある。

教訓 ワーファリンの拮抗にはプロトロンビン複合体濃縮製剤が最適なようですが、日本ではoff-label使用になります。

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帝王切開の脊椎麻酔:ブピバカイン量とフェニレフリン有無による血行動態の比較 [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年11月号より

Continuous Invasive Blood Pressure and Cardiac Output Monitoring during Cesarean Delivery: A Randomized, Double-blind Comparison of Low-dose versus High-dose Spinal Anesthesia with Intravenous Phenylephrine or Placebo Infusion.

帝王切開時のクモ膜下ブロック後には、低血圧が頻繁に起こる。クモ膜下ブロックに使用する局所麻酔薬を減らすと低血圧発生頻度が低下するという報告がある。帝王切開時のクモ膜下ブロックによる低血圧に関する今までの研究には、侵襲的血行動態モニタリングを用いたものはなく、1分毎程度の血圧測定で循環動態を評価しているものがほとんどであった。本研究では脊椎麻酔に用いるブピバカインの投与量の違いおよび予防的フェニレフリン投与の有無による血行動態の変化を、侵襲的血行動態モニタリングによって比較した。

Rikshospitalet University Hospital(ノルウェー、オスロ)で2005年8月から2007年4月までの期間に帝王切開術を予定された健康な単胎正期産妊婦を対象とした。高血圧、子癇前症、循環器または脳血管疾患、身長>180cmおよび<160cm、BMI>32の患者は除外した。80名を無作為に四群のうちいずれかに割り当てた。本研究は前向き二重盲検無作為化比較対照試験で、等比重ブピバカイン10mg(B10)と7mg(B7)、0.25mcg/kg/minの予防的フェニレフリン投与(Phenyl)と偽薬(Placebo)を比較し循環動態変化の差異を検討した。

グループ1 (B10/Phenyl) : 等比重ブピバカイン10mg+スフェンタニル4mcg+生食 計3mLを脊椎麻酔に使用。フェニレフリン0.25mcg/kg/minを静脈内投与。
グループ2 (B10/Placebo) : 等比重ブピバカイン10mg+スフェンタニル4mcg+生食 計3mLを脊椎麻酔に使用。偽薬を静脈内投与。
グループ3 (B7/Phenyl) : 等比重ブピバカイン7mg+スフェンタニル4mcg+生食 計3mLを脊椎麻酔に使用。フェニレフリン0.25mcg/kg/minを静脈内投与。
グループ4 (B7/Placebo) : 等比重ブピバカイン7mg+スフェンタニル4mcg+生食 計3mLを脊椎麻酔に使用。偽薬を静脈内投与。

一次転帰は収縮期血圧と心拍出量、二次転帰はSVR、平均動脈圧、拡張期血圧、一回拍出量、心拍数、運動麻痺持続時間、悪心、臍帯血pHおよびBEとした。脊椎麻酔に使用する薬剤は10mLのシリンジに充填された。フェニレフリンまたは偽薬は50mLのシリンジに充填された。いずれも担当麻酔科医はその内容を知らされなかった。前腕に18Gの末梢静脈ライン、橈骨動脈に20Gの動脈圧ラインを留置した。血行動態はLiDCOplusを用いて持続的に監視した。LiDCOplusは低侵襲の持続的血行動態モニタで、連続的動脈圧波形解析システム(PulseCO)に、単時点リチウム希釈校正システム(LiDCO)による心拍出量実測定を組み合わせた装置である。LiDCOによる心拍出量測定は、0.3mmolの塩化リチウムを末梢静脈路から投与し、動脈圧ラインに接続されたリチウムイオン感受性電極がリチウムを検出することによって行われる。この程度の量の塩化リチウムは妊婦にも胎児にも薬理学的影響を及ぼさない。LiDCOplusを用いると、動脈圧の連続測定と、一拍ごとの心拍出量、一回拍出量およびSVRの測定が可能である。

患者を右側臥位にしてL2/3より脊椎硬膜外麻酔(CSE)を実施した。脊椎麻酔の薬剤投与後に硬膜外カテーテルを頭側に4cm挿入した。その後、患者を仰臥位とし、右腰部に三角枕を当て、ベッドを左に15°傾けた。T8以上までの冷感消失が認められない場合は硬膜外カテーテルから3%クロロプロカイン8mLを投与した。脊椎麻酔終了時から0.9%食塩水750mLを急速静脈内投与した。同時にフェニレフリンまたは偽薬をシリンジポンプで投与し(0.25mcg/kg/min)、20分後に終了した。収縮期血圧が120mmHgを上回る場合はシリンジポンプからの薬剤投与は中止した。収縮期血圧<90mmHgを低血圧と定義し、この場合はフェニレフリン30mcgをボーラス投与した。低血圧に加え徐脈(HR<55bpm)が認められる場合はエフェドリン5mgを投与した。分娩後はオキシトシン5単位を静脈内ボーラス投与した。

グループ1~4の患者特性および基準時点における循環動態諸指標は同等であった。グループ3 (B7/Phenyl)は、他の3群と比較し循環動態の変化が有意に小さく、グループ2 (B10/Placebo)との差が最も大きかった。4群とも脊椎麻酔後に心拍出量が顕著に増加し、グループ2 (B10/Placebo)では基準時点と比べ59.7%増加、グループ3 (B7/Phenyl)では32.8%増加した。収縮期血圧は全群とも脊椎麻酔後に低下し、グループ2 (B10/Placebo)では基準時点より32.1%低下、グループ3 (B7/Phenyl)では16.8%低下した。グループ3 (B7/Phenyl)と比較したときのグループ2 (B10/Placebo)の収縮期血圧20%低下の相対危険度は2.5、30%低下の相対危険度は3.7であった。低血圧に対しフェニレフリンまたはエフェドリンをボーラス投与された患者数については群間に有意差を認めなかった。フェニレフリン群(グループ1と3)と偽薬群(グループ2と4)を比較したところ、フェニレフリン群の方が有意に心拍出量(P=0.009)と心拍数(P=0.004)が低かったが、収縮期血圧には有意差は認めなかった。高用量ブピバカイン群(グループ1と2)と低用量ブピバカイン群(グループ3と4)の比較では、高用量群の方が収縮期血圧の低下幅が有意に大きかったが(P=0.009)、心拍出量については有意差を認めなかった。低用量群と比較したときの高用量群の収縮期血圧20%低下の相対危険度は1.6、30%低下の相対危険度は2.1であった。臍帯動脈血のBEは高用量ブピバカイン群の方が低用量群よりも有意に低かったが、pHについては有意差を認めなかった。脊椎麻酔による感覚遮断域の有意差は認められなかった。低用量群の運動神経遮断時間は99分、高用量群では140分であった(P<0.0001)。高用量群(40名)のうち1名、低用量群(40名)のうち3名に3%クロロプロカイン硬膜外投与を行った。全身麻酔に移行した症例はなかった。59名(73.8%)に軽度から中等度の掻痒、9名(11.3%)に重度の掻痒が認められた。担当麻酔科医が使用したブピバカインの量(7mgまたは10mg)を正しく言い当てられた症例は80例中22例、フェニレフリンと偽薬の別を正答した症例は80例中24例であった。

今回の研究で、脊椎麻酔に使用するブピバカインの量を10mgから7mgに減量すると血行動態の変動を抑えられることが明らかになった。また、少量フェニレフリン投与(0.25mcg/kg/min)にも同様の効果があることが分かった。脊椎麻酔実施直後に、全例においてSVRの大幅な低下と心拍出量の増加が認められ、フェニレフリン使用群ではブピバカイン投与3分後に最高値を示した。今回は、侵襲的モニタリングを適用することによって脊椎麻酔後の血行動態を詳しく知ることができた。帝王切開に対する脊椎麻酔時にSVRと心拍出量がこれほど大きく変動することは予測はされていたが、実際に示されたのは今回が初めてである。心疾患を合併する妊婦に区域麻酔を実施する場合は、このような血行動態の変化が有害である可能性があるため対策が必要である。低血圧による悪心の発生頻度はブピバカイン10mg群の方が7mg群より有意に高かった(RR=2.4)。麻酔高を上げる必要があった患者の割合はブピバカイン7mgの方が多かった。脊椎麻酔のブピバカイン使用量を減らす場合は、硬膜外を併用する方が望ましいと考えられる。帝王切開時の予防的フェニレフリン投与の有効性と安全性については微に入り細にわたって研究が行われてきた。今回の研究ではNgan Keeらが実施した無作為化比較対照試験で採用された投与量より少ない量のフェニレフリンを用いた。Ngan Keeらの研究では低血圧発生率は1.9%と相当低かったものの、47%に反応性の高血圧が認められた。我々の研究では反応性高血圧を示した症例は皆無であった。フェニレフリン群は偽薬群よりも心拍数と心拍出量が有意に低かった。一回拍出量については群間に有意差は認められなかった。フェニレフリンはα1作動薬で、SVRを上昇させ血圧を上昇させる。また、フェニレフリンには直接的な強心作用もある。今回少量のフェニレフリン投与でも心拍出量低下が認められたことを考慮すると、高用量のフェニレフリン投与によって血圧を基準値程度に維持することの妥当性には疑問を呈さざるを得ない。10%-20%の血圧低下を許容し、ブピバカイン投与量を減量することによってフェニレフリン投与量を少量にとどめる方が、帝王切開時の血行動態の良好な管理には適していると考えられる。

教訓 CSのCSEではspinalのマーカインは少なめにしてください。予防的にフェニレフリンを少量使うと血行動態が安定します。PIH患者のCSのspinalにLiDCOplusを使用して血行動態を評価した論文の記事は9/11/08に掲載しました。ご一読ください。
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静脈血栓塞栓症と妊娠~診断 [anesthesiology]

NEJM 2008年11月6日号より

Venous Thromboembolic Disease and Pregnancy

静脈血栓塞栓症は、肺塞栓と深部静脈血栓症を引き起こす疾患である。何らかの基礎疾患に続発したものではない肺塞栓の約30%には無症状の深部静脈血栓症が関与している。有症状の深部静脈血栓症のうち40-50%には症状を伴わない肺塞栓が認められる。妊娠中は非妊時と比べ静脈血栓塞栓症の発生頻度が高い。また、妊娠中の静脈血栓塞栓症の診断は非妊時より困難である。妊娠中の静脈血栓塞栓症発生件数は、妊娠1000例につき0.76-1.72件と推計されており、これは非妊婦の4倍の発生頻度にあたる。静脈血栓塞栓症の発生頻度は妊娠全期を通じてほぼ一定であるが、肺塞栓の43-60%は産褥期に発生する。先進国では母体死因の首位は肺塞栓である。米国および欧州では肺塞栓による母体死亡発生頻度は分娩10万件あたり1.1-1.5件と見積もられている。静脈血栓塞栓症による母体死亡の原因の多くは、診断や治療開始が遅れたり、適切な治療が行われなかったり、適切な静脈血栓症予防法が行われなかったことであると報告されている。非妊時における静脈血栓塞栓症の管理法は確立している。しかし妊婦における静脈血栓塞栓症治療に関する勧告の多くは妊婦を対象とした良質なデータに基づいたものではない。

静脈血栓塞栓症の危険因子
妊娠中は過凝固状態になる。妊娠時に認められる凝固線溶系の変化は、フィブリン生成増加、線溶系活性の低下、第Ⅱ、Ⅶ、Ⅷ、Ⅹ因子の増加、プロテインS低下、活性化プロテインC抵抗性である。妊娠中はプロトロンビンフラグメントF1+2、D-ダイマーなどの凝固活性を示すマーカが上昇する。また、妊娠25-29週頃から分娩6週後までにかけては下肢の静脈血流速が非妊時のほぼ半分に低下する。先天性血栓性素因、抗リン脂質抗体症候群、血栓症の既往などがあれば、妊娠中から分娩後にかけての静脈血栓塞栓症発生リスクはさらに上昇する。その他の危険因子として、黒人、心疾患、鎌状赤血球症、糖尿病、SLE、喫煙、多胎妊娠、35歳以上、肥満、帝王切開(特に分娩開始後の緊急帝切)が挙げられる。深部静脈血栓症のうち約70-90%は左下肢に発生する(左腸骨静脈は右腸骨動脈と交差し圧迫されているため)。静脈圧迫法による超音波検査では、左腸骨静脈の深部静脈血栓症の診断精度が高くない。左腸骨静脈血栓症の症状には、腹痛、背部痛(腰痛)、下肢全体の腫れなどがあるが、症状も理学的所見も認められないこともある。

先天性血栓性素因と静脈血栓塞栓症
妊婦の静脈血栓塞栓症の少なくとも50%には先天性または後天性血栓性素因が関与していると考えられる。西側諸国では人口の15%に先天性血栓性素因がある。しかし、妊婦のうちわずか0.1%にしか静脈血栓塞栓症は発生しない。したがって、妊娠で過凝固状態が存在していても、血栓性素因が即、血栓性イベント発生につながるわけではない。したがって、妊婦全員を対象とした血栓性素因のスクリーニング検査の費用対効果は低い。妊娠中に急性静脈血栓塞栓症に罹患した患者においても血栓性素因のスクリーニング検査はあまり有用ではない。なぜなら、血栓性素因のスクリーニング検査を行っても結果次第でその時点における治療法が変わるわけではないからである。しかし、急性静脈血栓塞栓症を発症した妊婦では、妊娠が終了し抗凝固療法を中止した時点で血栓性素因のスクリーニングを考慮すべきである。その結果に応じて次回以降の妊娠中の管理を行わなければならない。

血栓塞栓症の診断
静脈血栓塞栓症の診断は、臨床所見を基にまず疑うことが重要である。しかし、深部静脈血栓症および肺塞栓の典型的な徴候および症状、つまり、下肢の腫脹、頻脈、頻呼吸および呼吸困難感は正常妊娠でも認められることがある。妊娠中の肺塞栓を予測する方法は確立されていない。妊娠中に肺塞栓を疑われた患者のうち、実際に血栓塞栓症の確定診断に至るのは10%未満である。非妊婦では約25%であるのと対照的である。しかし、静脈血栓塞栓症を疑わせるような症状を呈する妊婦の突然死は珍しくはないため、妊婦がそのような症状を示す場合は速やかに検査を実施すべきである。検査で静脈血栓塞栓症が否定されるまでは、絶対禁忌でない限り低分子ヘパリンまたは未分画ヘパリンによる治療が推奨される。一般人口においては、静脈圧迫超音波検査による有症状の近位深部静脈血栓症診断の感度は97%、特異度は94%である。この検査法はリスクがないため静脈血栓塞栓症が疑われる妊婦でも適応がある。静脈圧迫法による超音波検査では、腓腹静脈および腸骨静脈の診断精度は劣る。MRIで血栓を直接描出する方法は、放射線被曝がないため胎児に害がない上に、腸骨静脈血栓症の診断感度および特異度が高い。MRIを実施できない場合は、超音波パルスドップラー法やCTが腸骨静脈血栓症の診断に用いられる。ただし、CTでは放射線被曝があるため胎児に有害である可能性がある。正常妊娠中は妊娠が進行するにつれてDダイマーが上昇する。Dダイマー値の評価は他の検査結果と併せて行うべきである。妊娠初期および中期に精度の高いDダイマー検査で上昇が認められなければ、陰性的中率は100%であると報告されている。上昇している場合の感度は100%、特異度は60%である。静脈圧迫法による超音波検査が正常である場合に、Dダイマーの上昇が認められなければ静脈血栓塞栓症の可能性は非常に低く、Dダイマーが上昇していれば他の追加検査を行わなければならない。
肺塞栓が疑われる患者で、静脈圧迫法による超音波検査が正常の場合は他の画像診断法を追加しなければならない。胸部単純X線写真は必ず撮影すべきである。換気-血流スキャンまたはCT肺血管造影(CTPA)も実施すべきである。換気-血流スキャンはCTPAよりも胎児被爆量が多い(640-800μGy vs 3-131μGy)。しかし、母体に対してはCTPAの方がシンチよりも被爆量が多い(2.2-6.0mSv vs 1.4mSv)。したがって、検査に先立ち母親には、換気-血流スキャンはCTPAよりも小児癌発生リスクが高く(28万件につき1件 vs 100万件につき1件未満)、母体の乳癌発生リスクは低い(CTPAの方がシンチより13%リスクが高い)ことを説明しなければならない。(つづく)

教訓 シンチはCTより小児癌リスクが高く、CTはシンチより乳癌(母体)リスクが高いそうです。

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静脈血栓塞栓症と妊娠~予防と治療① [anesthesiology]

NEJM 2008年11月6日号より

Venous Thromboembolic Disease and Pregnancy

妊娠中の血栓塞栓症の管理
ワーファリンは胎盤を通過し胎児に悪影響を及ぼすおそれがあるため、妊娠中の静脈血栓塞栓症の治療および予防には未分画ヘパリンまたは低分子ヘパリンが使用される。妊娠6週から9週にワーファリンに曝露された胎児の5%に、鼻形成不全、点状軟骨異形成症、側彎、近位四肢の短肢症、短指症などの奇形が発生する。妊娠中期および妊娠後期の初期にワーファリンを使用すると、胎児に頭蓋内出血や裂脳症が起こる。未分画ヘパリンも低分子ヘパリンも胎盤を通過しないため、奇形や胎児の出血性合併症が起こる可能性はない。妊娠中および産褥期の抗凝固療法の標準的薬剤は長年にわたり未分画ヘパリンであったが、最近では低分子ヘパリンが推奨されている。低分子ヘパリンの利点は、出血の危険性が低いこと、薬物動態が予測可能であるためモニタリングが不要で体重から投与量を決定することができること、HIT(ヘパリン起因性血小板減少症)やヘパリンによる骨粗鬆症のリスクが低いことである。腓腹静脈のみの血栓症の管理については諸説あり、ガイドラインは確立されていない。しかし、腸骨大腿静脈系の血栓は大部分が腓腹静脈から発生するため、症状がある患者においては低分子ヘパリンの使用が望ましい。抗凝固療法が禁忌である患者や、分娩まで2週間以内の期間に重度の静脈血栓塞栓症が発生した場合にのみ下大静脈フィルタの使用を考慮する。非妊婦の静脈血栓塞栓症では、低分子ヘパリンを一日一回投与することが多い。妊婦では腎排泄能が亢進しているため、低分子ヘパリンの半減期が短縮している。そのため、妊娠時は一日二回投与が推奨されている。しかし、利便性の問題から実際に広く行われているのは、一日一回投与である。大多数の患者では抗第Ⅹa因子活性のモニタリングを行って投与量を調節する必要はないが、過体重や低体重、腎機能低下がある場合はモニタリングをして投与量を決定する。妊婦に対するフォンダパリヌクス(合成ペンタサッカライド。第Ⅹa因子を直接阻害する作用がある。)の使用例はまだ少ないが、複数の低分子ヘパリンに過敏反応を示す場合は安全な代替薬として使用できる可能性がある。フォンダパリヌクスはin vitroでは胎盤通過性は確認されていないが、in vivoでは胎盤通過性がある可能性が指摘されている。FDAはフォンダパリヌクスを妊娠カテゴリーB(動物実験では胎児に対するリスクが確認されていないが、妊婦を対象とした適切な比較対照試験のデータがない。または、動物実験で有害作用が確認されているが、妊婦を対象とした比較対照試験ではリスクの存在が確認されていない。)に分類している。ベッド上安静は深部静脈血栓症患者に対してはphlegmasiaを来していない限り一般には推奨されない。


分娩時の抗凝固療法
妊娠後期はいつ何時陣痛が発来するか分からず、経膣分娩でも帝王切開でも相応の出血があり、またどちらも区域麻酔下に行われることが多いため、抗凝固療法の実施には困難がつきまとう。完全に抗凝固が行われている患者に陣痛が自然発来した場合は、区域麻酔は禁忌である。分娩誘発または予定帝王切開を実施すればこの問題は解決できる。American Society of Regional Anesthesia and Pain Medicineのガイドラインでは、低分子ヘパリンの予防的投与の12時間後、治療的投与の24時間後以降には脊髄クモ膜下麻酔を実施してもよいとされている。未分画ヘパリンを静注している患者に伝達麻酔を実施する場合は、6時間前には未分画ヘパリンを中止し、APTTが正常化していることを確認しなければならない。低分子ヘパリンを使用している場合、陣痛が発来したら使用を中止する。低分子ヘパリンは未分画ヘパリンのように速やかに拮抗できないため、帝王切開の可能性が比較的高いことや、陣痛発来時期の予測が困難なことから、妊娠の最後まで低分子ヘパリンを使用することを躊躇する産科医が多い。したがって、妊娠最終の二、三週間は未分画ヘパリンの皮下注に切り替えられることが多い。ただし、この方法の有効性は臨床試験で確認されているわけではない。妊娠後期に未分画ヘパリンを皮下注した場合、薬物動態の予測は不可能であり、APTTの測定を繰り返し、投与量をきめ細かく調節する必要がある。さらに、一般的に広まっている信憑に反し、皮下注未分画ヘパリンと低分子ヘパリンの薬物動態はほとんど同じである。したがって、妊娠後期に未分画ヘパリンの皮下注に切り替える方法の利点は限られていると考えられる。低分子ヘパリンの投与は、産後出血が続いていなければ分娩後12時間以内に再開してもよい。硬膜外カテーテル抜去後少なくとも12時間は低分子ヘパリンの予防的投与は見合わせるべきである。低分子ヘパリンの治療的投与は、術後または分娩後24時間または止血が完成していない場合は実施すべきではない。分娩後少なくとも6週間は、低分子ヘパリンまたはワーファリンによる抗凝固療法を行う。治療終了前には、血栓症のリスクを評価する。深部静脈血栓症発症後、60%の患者において血栓後症候群(静脈弁破壊により静脈圧・毛細血管圧が上昇し、うっ血性皮膚炎・静脈性潰瘍を生じる)が発生する。弾性ストッキングの使用によって血栓後症候群の発生が半減するため、深部静脈血栓症発症後最長2年間は患肢に弾性ストッキングを装着すべきである。

血栓溶解療法
妊娠中の血栓溶解療法の実施例は少ない。循環動態が不安定になるほどの重症肺塞栓症例では、血栓溶解療法によって救命できる可能性がある。血栓溶解剤の使用は、胎盤早期剥離につながる可能性が憂慮されているが、そのような報告はいまのところ存在しない。帝王切開または分娩後10日以内の血栓溶解療法は禁忌であるが、経膣分娩1時間後および帝王切開12時間後の血栓溶解療法成功例が報告されている。(つづく)

教訓 ワーファリンは胎盤通過性があり胎児毒性があるため、妊娠中は禁忌です。

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