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静脈血栓塞栓症と妊娠~予防と治療② [anesthesiology]

NEJM 2008年11月6日号より

Venous Thromboembolic Disease and Pregnancy

妊娠後期および分娩中の肺塞栓の管理
妊娠後期に肺塞栓が発生したら、酸素投与(酸素飽和度>95%を維持)とヘパリン静注を実施し、ハイリスク分娩に対応できる大病院に患者を転送する。血行動態が安定している場合は、確定診断に至れば一時的下大静脈フィルタを留置する。陣痛発来または帝王切開後ただちにヘパリン投与を中止する(必要であればプロタミンで拮抗する)。完全に抗凝固が効いている場合は帝王切開を行ってはならない。満期または胎児の状態から帝王切開を行わなければならない時期に広範な肺塞栓が発生した場合の対応は困難であり、産科医、集中治療医、胸部外科医、麻酔科医およびインターベンション専門放射線科医が協力して治療に当たらなければならない。帝王切開後人工心肺を使用して外科的に血栓を除去したり、経皮的に血栓を破砕し下大静脈フィルタを留置したりする。分娩中の血栓溶解療法は禁忌とされているが、転帰が良好であったとする分娩中血栓溶解実施例の報告が複数発表されている。

妊娠中および産褥期の血栓予防
血栓塞栓症の既往がある女性は、既往のない女性と比べ妊娠中に血栓塞栓症が再発するリスクが高い。産褥期にはさらに再発リスクが上昇する。静脈血栓塞栓症の既往のある女性には、産前産後を通じて弾性ストッキングの着用が推奨されている。さらに、既往のある女性に対しては分娩後少なくとも6週間は低分子ヘパリンまたはワーファリンを投与すべきである。アスピリンは血栓予防目的での投与は推奨されない。分娩前の抗凝固薬物療法については賛否両論があり、患者一人一人について利害得失を評価すべきである。二回以上の静脈血栓塞栓症の既往がある患者および血栓性素因のある患者(例, アンチトロンビン欠乏症、抗リン脂質抗体症候群、プロトロンビンG20210A変異、第Ⅴ因子Leiden変異)では妊娠中の抗凝固療法を行うべきである。妊娠と関係のない血栓塞栓症の既往があり、血栓塞栓症の発症原因が解決している患者では、血栓性素因がなければ抗凝固療法を実施する必要はないと考えられる。静脈血栓塞栓症が一回だけ発生し血栓性素因のリスクが低い妊婦では妊娠中の血栓予防は任意であるが、血栓予防を行わない場合は妊娠全期を通して注意深い経過観察を行わなければならない。病的肥満(BMI>40)および寝たきりの妊婦でも血栓予防を実施するのが望ましいと考えられる。

分娩前の予防的低分子ヘパリン投与量
           <50kg           50-90kg          >90kg
エノキサパリン   毎日20mg       毎日40mg      12時間ごと40mg
ダルテパリン    毎日2500単位     毎日5000単位   12時間ごと5000単位
ティンザパリン   毎日3500単位     毎日4500単位     12時間ごと4500単位

超高リスク
エノキサパリン 12時間ごと0.5-1.0mg/kg
ダルテパリン  12時間ごと50-100単位/kg
ティンザパリン 12時間ごと4500単位

帝王切開後の血栓予防
帝王切開後の静脈血栓塞栓症は稀であるが、もし発生すれば重症化し死に至る可能性がある。肺塞栓発生頻度は帝王切開後の方が経膣分娩後より2.5-20倍高く、致死的肺塞栓の発生頻度は帝王切開後の方が10倍高い。UKのConfidential Enquiry into Maternal Deathによれば、静脈血栓塞栓症を原因とする分娩後死亡の四分の三以上は帝王切開に関連している。中~高リスクの一般内科、泌尿器科、婦人科手術においては血栓予防法によって術後の静脈血栓塞栓症発生数が相当減少することが精度の高い無作為化比較対照試験で確認されているが、帝王切開に関しては同様の研究は行われていない。The Royal College of Obstetricians and GynaecologistsとThe American College of Chest Physiciansが提唱している帝王切開後の血栓予防法を以下に示す。帝王切開後の血栓予防法実施期間についての研究は実施されていない。分娩前後の深部静脈血栓症の発症頻度が最も高いのは分娩後の一週間である。血栓予防法実施期間は、各患者のリスク評価に基づき決定するが、高危険群では最長6週後まで低分子ヘパリン投与および弾性ストッキング着用を継続する。

低リスク:早期離床
 正常妊娠で特に危険因子のない帝王切開
中リスク:低分子ヘパリンまたは弾性ストッキング
 年齢>35歳、肥満(BMI>30)、出産回数>3回、著明な静脈瘤、子癇前症、術前に4日を超すベッド上安静、最近の重篤な疾患、分娩開始後の緊急帝王切開
高リスク:低分子ヘパリンおよび弾性ストッキング
 3つ以上の中等度危険因子、帝王切開+子宮全摘、最近の深部静脈血栓症、血栓性素因

教訓 肺塞栓発生頻度は帝王切開後の方が経膣分娩後より高く、致死的肺塞栓は帝王切開後の方が10倍多いそうです。

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2008年を振り返って 第1回(全5回) [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年12月号より

2008 in Review: Advancing Medicine in Anesthesiology

このレビューに掲載した論文は、皆さんが日常の臨床業務に変化をもたらす契機となったり、現在広まっているやり方の理論的背景をより深く理解する一助となったり、将来への展望を拓くのに役立つものであると考えています。皆さんは麻酔科医としてお忙しい毎日をお過ごしのことと拝察いたしますが、本レビューをお読みになることで新しい重要な知見を得ていただければ幸甚です。

Nuttall GA, Brown MJ, Stombaugh JW, Michon PB, Hathaway MF, Lindeen KC, Hanson AC, Schroeder DR, Oliver WC, Holmes DR, Rihal CS: Time and cardiac risk of surgery after bare-metal stent percutaneous coronary intervention. Anesthesiology 2008; 109:588-95; and Rabbitts JA, Nuttall GA, Brown MJ, Hanson AC, Oliver WC, Holmes DR, Rihal CS: Cardiac risk of noncardiac surgery after percutaneous coronary intervention with drug-eluting stents. Anesthesiology 2008; 109:596-604

薬剤溶出性ステント(DES)を留置された患者が抗血小板薬を通常より早期に中止すると死亡リスクが大幅に上昇する。ここに挙げた二編は、ベアメタルステント(BMS)またはDES留置後の非心臓手術実施までの期間と術後主要心臓合併症の発生率の関わりを調査した現在のところ最大規模の遡及的研究である。BMS留置後患者については、15年間に起こった非心臓手術周術期の有害事象899例が調査対象となった。BMS留置から非心臓手術実施までの期間と術後主要心臓合併症の発生率とのあいだには有意な相関が認められた(PCI後30日以内10.5%、PCI後90日以降2.8%)。一方、DESの場合には留置後の期間が長くなっても合併症発生率はそれほど低下しなかった。DESではPCI後90日以内に非心臓手術が行われた520名では術後主要心臓合併症の発生率は6.4%、365日以降では3.3%であった。BMS、DESのどちらであっても主要心臓合併症の発生率が高いのは緊急手術周術期であり、意外なことに抗血小板薬を服用していても術中・術後の出血量は増加しなかった。ただし、出血性合併症の総数は少なかった。PCI後の非心臓手術実施のタイミング、抗血小板薬中止の要否、ステント血栓症の短期および長期リスクについて議論が交わされてきたが、この二編の論文がその答えをある程度示している。両論文掲載時のEditorialで指摘されている通り、冠動脈ステント術後の手術に関する問題は、適切な待機期間がどれほどかという問題に集約されている。

参照:
BMS留置後の予定手術までの待機期間
DES留置後の予定手術までの待機期間


Monk TG, Weldon BC, Garvan CW, Dede DE, van der Aa MT, Heilman KM, Gravenstein JS: Predictors of cognitive dysfunction after major noncardiac surgery. Anesthesiology 2008; 108:18-30

術後認知機能障害(POCD)については、特に心臓手術後の発生例についての報告が多く研究が進んでいるが、高齢者ほど頻度が高い。上に挙げたMonkらの論文では、非心臓手術後のPOCDにも観測対象が広げられ、死亡率および合併症についての評価が行われている。主に腹部、胸部または整形外科手術を受けた患者1064名を対象に、退院時および退院3ヶ月後に神経心理学的検査が実施された。退院時に対象患者の三分の一近くにPOCDが認められるという驚くべき結果が得られた。若年(18-39歳)、中年(40-59歳)、高齢(60歳以上)のいずれの年齢層でも退院時にPOCDを呈する患者の割合は三分の一程度であった。しかし、三ヶ月後の時点では、高齢者群では13%にPOCDが認められたのに対し、若年者群および中年者群ではその約半分の6%で認められたに過ぎなかった。退院時にPOCDを呈した群ではそうでなかった群と比較しその後三ヶ月間に死亡する例が多く、退院時および三ヶ月後ともにPOCDを呈した患者は手術から一年後までに死亡する例が多かった。本論文の知見から、どの年齢層においても術後早期にPOCDが発生しうることを認識し、高齢者でPOCDが遷延する理由を明らかにする必要性が浮き彫りにされた。高齢者における術後認知機能の低下と死亡率の関連について示した論文は他にもあるが、それを前向き研究で明らかにした劈頭を飾る一編が本論文である。手術の大規模化および手術患者の高齢化が全世界的に進む現在、POCDの根本原因を明らかにし、その予防および治療法を確立することは麻酔科領域の進歩に欠かせない最重要課題である。


Iribarren JL, Jimenez JJ, Hernández D, Brouard M, Riverol D, Lorente L, de La Llana R, Nassar I, Perez R, Martinez R, Mora ML: Postoperative bleeding in cardiac surgery: The role of tranexamic acid in patients homozygous for the 5G polymorphism of the plasminogen activator inhibitor-1 gene. Anesthesiology 2008; 108:596-602

術中出血量を減少させる方法として、抗線溶薬の心臓手術中の使用についての研究が行われてきた。しかし、その結果は一定していないため、周術期の抗線溶薬の有用性に疑問が呈されている。抗線溶薬の効果が認められたり認められなかったりする理由として、プラスミノゲン活性化因子阻害物質1(プラスミノゲンアクチベータインヒビター1, PAI-1; プラスミノゲンをプラスミンに変換し線溶を阻害する酵素)の遺伝子多型が関与している可能性が示唆されている。PAI-1の遺伝子多型としてしられているもののうち、4G対立遺伝子はPAI-1の増加、5G対立遺伝子はPAI-1の減少と関連している。したがって4G対立遺伝子保有者は出血しがたいため抗線溶薬の効果があまり発揮されず、5G対立遺伝子保有者は出血しやすいため抗線溶薬の効果を期待することができると推測される。本論文では抗線溶薬の出血量減少効果の検証を行い、抗線溶薬の効果の個人差を対立遺伝子の違いにあることをうまく説明している。著者らは心臓手術を受ける成人患者50名のPAI-1遺伝子型を特定した上で、無作為にトラネキサム酸または偽薬に割り当てた。評価項目は術後24時間の出血量と輸血量であった。トラネキサム酸は偽薬と比較し5Gホモ接合体患者では有意に出血量を減少させたが、4Gホモ接合体患者では出血量減少効果は認められなかった。4G/5Gヘテロ接合体患者ではその中間の結果であった。PAI-1活性が強い順に並べると、4G/4G > 4G/5G > 5G/5Gである。この研究は、基礎分野(遺伝領域)の研究成果を臨床研究(心臓手術における出血量)に応用する橋渡し研究(translational research)の好例である。トラネキサム酸で出血量が減少する患者と、減少しない患者がいるのは、PAI-1の遺伝子多型が少なくとも部分的には関与していることが明らかにされたわけである。

参照:アプロチニンvsトラネキサム酸&アミノカプロン酸

教訓 BMS後の予定手術までの待機期間は90日です。DESでは1年です。術後認知機能障害はいずれの年齢層でも三分の一程度に発生します。しかし、遷延するのは高齢者層に多いそうです。抗線溶薬の効果は遺伝子型によって左右されます。



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2008年を振り返って 第2回(全5回) [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年12月号より

2008 in Review: Advancing Medicine in Anesthesiology

Chung F, Yegneswaran B, Liao P, Chung SA, Vairavanathan S, Islam S, Khajehdehi A, Shapiro CM: STOP questionnaire: A tool to screen patients for obstructive sleep apnea. Anesthesiology 2008; 108:812-21

閉塞性睡眠時無呼吸(OSA)の一般人口における発症頻度は26%であり、病的肥満に対する手術症例では70%に達する。OSAには循環器疾患、脳血管障害、逆流性食道炎などいろいろな疾患が合併する。また、周術期合併症発生率も高く、OSAのない人と比較しOSA患者は20年も短命である。だが、睡眠ポリグラフ検査以外ではOSAの評価を行うことができないにも関わらず、手術患者およびOSAの可能性のある患者の大多数が睡眠ポリグラフ検査を受けていない。本研究では、手軽かつ確実に手術患者のOSAリスクを評価するための質問調査を作成し、評価が行われた。まず、4つのはい-いいえで答えられる質問に、ベルリン質問票(10問)を組み合わせて254名の患者を調査した。その結果を解析し、STOPの略語で表される4つの質問からなる質問票が作成された(S:ドアが閉じていても部屋の外からいびきが聞こえる。 T: 疲労、倦怠感、眠気を日中に感じる。 O: 睡眠中に無呼吸が観察される。 P: 高血圧の治療を受けている。)。このSTOP質問票を用いてさらに評価が進められた。STOP質問票そのものと、Bang因子(BMI、年齢[age]、首周囲長[neck]、性別[gender])の有無にSTOP質問票を組み合わせた評価方法とを、睡眠ポリグラフ検査の結果とが比較された。50歳以上の男性でBMI>35の場合は、STOPの陽性的中率は100%であった。STOPにBang(BMI>35、年齢>50歳、首周囲長>40cm、男性)を組み合わせたところ、感度も陰性的中率も向上した。中等度から重症のOSA患者ではSTOP-Bang質問票の感度および陽性的中率は非常に高かった。この質問票が周術期管理の臨床において発揮する重要性は特筆すべきものである。周術期患者のOSAスクリーニング検査としてSTOP-Bang質問票は画期的な方法であると言えよう。この論文は、購読者にとどまらない広い範囲から多くの注目を集め、現在までに1200編以上のニュース記事となり報道された。


Kodali B-S, Chandrasekhar S, Bulich LN, Topulos GP, Datta S: Airway changes during labor and delivery. Anesthesiology 2008; 108:357-62

母体死亡に関する最近のレビューでは、産科麻酔関連死亡の原因が気管挿管および換気不能から術後の気道トラブルおよび呼吸不全に変化してきていることが指摘されているが、産科麻酔における予想外の困難気道に対し問題意識を持っていることは麻酔科医として当然のことである。本論文では、Samsoon改変Mallampati分類を用いた気道の評価と、上気道、口腔内、咽頭部の容量測定を分娩開始時と終了時に実施した。分娩終了時までに、対象患者の三分の一においてMallampati分類の一段階以上の変化が認められ、二段階以上の変化が認められた患者も5%存在した。Mallampati分類3または4の患者数は、分娩終了時には分娩開始時の2倍にのぼった。気道容量の定量評価では、分娩終了時に口腔内容量、咽頭容量および咽頭面積が有意に減少していた。過去の研究から得られた知見に照らし合わせてみると、分娩中にMallampati分類グレード2からグレード4に変化すると、挿管困難の相対危険度がグレード1のときの3倍から11倍へと上昇することを意味する。本研究では気道径の減少が認められたが、これは輸液やいきみによる浮腫の増加を反映していると考えられる。顔面外傷では時間経過により挿管が急激に困難になることがあるが、妊婦でも同様であることが本研究で明らかにされた。妊婦の気道管理を行う際には、数時間前に気道の評価を行っていたとしても、改めて再評価を実施する必要がある。


Liang Y, Kimball WR, Kacmarek RM, Zapol WM, Jiang Y: Nasal ventilation is more effective than combined oral-nasal ventilation during induction of general anesthesia in adult subjects. Anesthesiology 2008; 108:998-1003

我々が麻酔に際して行っていることには裏付けがないものが多い。慣習や思い込みで行われていることが少なくない。口と鼻を覆うマスクを用いるのは有効な換気を行うのに理に適った方法のように思われるが、鼻だけを覆うマスクではなく口と鼻を覆うマスクに軍配を上げるようなデータはあるのであろうか?本論文では、麻酔導入時には鼻だけを覆うマスクを用いた方が口と鼻の両方を覆うマスクを用いるより有効な換気が可能であるという結果が示されている。口からも鼻からも呼吸が可能であり、マスクフィッティングが良好な成人患者15名を対象として研究が行われた。麻酔深度(BISを使用)、非侵襲的心拍出量(NICOモニターを使用)、呼気二酸化炭素流量、呼吸回数、一回換気量、呼吸波形、流速、最高気道内圧、呼気終末二酸化炭素分圧波形、バイタルサインをモニターした。頸部伸展や下顎挙上することなく頭部をニュートラルな位置に保ち、無呼吸であり、かつ筋弛緩をしない状態で実験を行った。口鼻マスクと比較し鼻マスクでは、最高気道内圧が有意に低く、呼気容量が有意に大きかった。最高気道内圧は鼻マスクでは16.7cmH2O、口鼻マスクでは24.5cmH2Oであった。一回換気量は鼻マスクが264.5mL、口鼻マスクでは65.6mLであった。鼻マスク使用によって除去される二酸化炭素量は5.0mLであったが、口鼻マスクではゼロであった。つまり、口鼻マスクより鼻マスクの方が低い吸気圧でたくさんの二酸化炭素を除去でき、一回換気量も大きいということである。著者らは、このような結果が得られた理由として、鼻を介した換気では口腔咽頭の軟部組織による閉塞の影響を受けないことを挙げている。頭部をsniffing位にした場合の両マスクを比較した研究が待たれるが、おそらく将来的には麻酔導入時の換気は鼻マスク使用が主流となると考えられる。

教訓 閉塞性睡眠時無呼吸のリスク評価にSTOP-Bangが有用です。妊婦は分娩開始後急速に挿管困難になります。口鼻マスクより鼻マスクの方が麻酔導入時の換気効率が優れています。

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2008年を振り返って 第3回(全5回) [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年12月号より

2008 in Review: Advancing Medicine in Anesthesiology

Taninishi H, Takeda Y, Kobayashi M, Sasaki T, Arai M, Morita K: Effect of nitrous oxide on neuronal damage and extracellular glutamate concentration as a function of mild, moderate, or severe ischemia in halothane-anesthetized gerbils. Anesthesiology 2008; 108:1063-70; and McGregor DG, Lanier WL, Pasternak JJ, Rusy DA, Hogan K, Samra S, Hindman B, Todd MM, Schroeder DR, Bayman EO, Clarke W, Torner J, Weeks J: Effect of nitrous oxide on neurologic and neuropsychological function after intracranial aneurysm surgery. Anesthesiology 2008; 108:568-79

亜酸化窒素(笑気)は虚血性脳傷害の転帰を悪化する、改善する、影響を及ぼさないというまちまちな結果が報告されている。Taninishiらはハロセン麻酔下正常体温ネズミを用いた脳虚血傷害モデルにおける、70%笑気または70%窒素の影響を調べた。5日後の時点で脳傷害の程度を評価した。本研究ので得られた知見の目新しい点は、笑気が転帰に及ぼす影響を虚血性傷害の持続期間との関わりで示した点である。笑気は虚血が短時間でも長時間でもないその中間の時間続いた場合にのみ、悪影響を及ぼすことが明らかにされた。笑気の作用は虚血の条件によって変化し、保護的、有害、無害のいずれかの作用を発揮するのではないかと記されている。McGregorらは、破裂性脳動脈瘤クリッピング術での軽度低体温の長期的予後に関する臨床試験(The Intraoperative Hypothermia for Intracranial Aneurysm Surgery Trials:IHAST)のデータベースを利用し虚血性脳傷害の転帰に笑気が及ぼす影響を検証した。術中の笑気使用または非使用については担当麻酔科医の判断で決定された。笑気使用患者373名と非使用患者627名について機能的転帰のデータを比較した結果、笑気が転帰に与える影響は認められなかった。IHASTが多数の患者を対象とし厳密に行われた臨床試験であることを踏まえると、笑気が何らかの影響を転帰に及ぼすとすれば確実にそれを検出できるはずであるが、得られた結果は笑気が転帰に与える悪影響を否定するものであった。一方、術前の虚血の程度が均一でなく、術中および術後に発生する脳障害も一定でない大規模な患者集団について蓄積されたデータの解析では、Taninishiらの研究で笑気による悪影響が認められた条件と同じような、ある一定の特徴を持った患者群に与える笑気の影響が隠蔽されるのは避けようがない。脳虚血に対してプラスまたはマイナスの効果を与える可能性のある薬剤についての臨床試験には常にこの二編の論文から得られた知見が関与するであろう。


Lee LA, Deem S, Glenny RW, Townsend I, Molding J, An D, Treggiari MM, Lam A: Effects of anemia and hypotension on porcine optic nerve blood flow and oxygen delivery. Anesthesiology 2008; 108:864-72

周術期の虚血性視神経症(ION; ischemic optic neuropathy)は稀にしか発生しないが失明の原因となる。長時間の腹臥位脊椎手術1000例あたり1例に何らかのIONが認められると言われている。IONの病因はまだ明らかにはされていないが、長時間手術や大量出血が関与しているのではないかと指摘されている。その他、術前の貧血、高血圧、緑内障、頸動脈疾患、喫煙、肥満、糖尿病もIONの発生に関わっていると考えられている。ION発生の機序はまだほとんど解明されていない。Leeらは、ブタを使ってION発生に関連する頭蓋内および頭蓋外要因を調べた。使用されたブタモデルは、IONの病態のすべての側面を調査するには適しているとは言えないが、血行動態と酸素供給の変化がION発症に与える影響を明らかにするには申し分ないものである。本研究では様々な条件下(euvolemia, hypovolemia、低血圧、貧血、静脈鬱血など)での視神経および脳への血流と酸素運搬量が測定された。血管内容量が維持された状態での貧血では、脳血流量が有意に増加するため脳への酸素運搬量には有意な変化は認められなかった。一方、同条件下で視神経への血流量はほとんど変化が認められず、視神経への酸素運搬量は減少した。血管内容量が維持された状態での貧血で、さらに人為的に低血圧に陥らせると、脳血流量は変化せず、酸素運搬量が有意に低下した。この条件下では、視神経への酸素運搬量も有意に低下した。この実験から、ブタでは視神経は脳よりも生理学的変化に弱いことが明らかになった。IONの大部分の症例では脳または心筋虚血が認められないのは、酸素運搬量が低下しかねない状況であっても脳や心筋では血流量増加によって代償されるからであると考えられる。本論文で示された知見はIONの機序や危険因子を解明する研究を行う際の方向性を示す重要な意義をもつものである。

参照:術後の視力障害


Jang Y, Xi J, Wang H, Mueller RA, Norfleet EA, Xu Z: Postconditioning prevents reperfusion injury by activating Δ-opioid receptors. Anesthesiology 2008; 108:243-50

ミトコンドリアは細胞のエネルギー産生や酸化ストレスに対する反応において不可欠の役割を果たすため、細胞死の信号伝達にはミトコンドリアの機能障害が関与していると考えられている。例えば、mPTP(mitochondrial permeability transition pore)の開口によるミトコンドリア膜透過性亢進が再灌流によるミトコンドリア傷害発生に深く関わっているとされている。プレコンディショニングやポストコンディショニング(再灌流時の心筋保護)後のmPTP開口による有害作用は吸入麻酔薬やオピオイドによって緩和することができる。ポストコンディショニング効果は冠動脈再灌流に先立ち虚血が繰り返されると得られる。Jangらはモルヒネによってポストコンディショニング効果が得られ、この作用がδオピオイド受容体アンタゴニスト投与またはmPTPを薬理学的に開口させることによって消失することを示した。本論文の著者らは、ポストコンディショニングによる心筋保護効果はδオピオイド受容体の活性化を通じてmPTPの開口が阻害され、NO-cGMP-PKGカスケードが活性化することで得られると結論づけている。ポストコンディショニングにおいてNOおよび活性酸素は興味深い作用を発揮する。NOおよび活性酸素が多量に産生され、同時に細胞内カルシウムが増加するとmPTPが開口しミトコンドリア膜が脱分極する。その結果、ATP産生が阻害されミトコンドリアが機能不全に陥る。しかし、ミトコンドリアの機能や虚血再灌流傷害時の心筋を保護するにはNOと活性酸素が少量存在することが必須条件である。mPTPは心筋保護作用における終末効果器であり、心筋保護の治療目標器官として重要な位置を占めると考えられている。Jangらの研究はδ受容体によってmPTPの機能が変化する可能性を示したものである。

教訓 笑気が虚血性脳傷害に及ぼす影響は、虚血の条件によって異なります。視神経は脳よりも虚血に陥りやすいので長時間の腹臥位手術の際は注意してください。モルヒネはポストコンディショニング効果によって心筋保護作用を発揮します。

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2008年を振り返って 第4回(全5回) [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年12月号より

2008 in Review: Advancing Medicine in Anesthesiology

Moayeri N, Bigeleisen PE, Groen GJ: Quantitative architecture of the brachial plexus and surrounding compartments, and their possible significance for plexus blocks. Anesthesiology 2008; 108:299-304

鎮静薬や麻酔薬の薬物動態(PK)および薬力学(PD)は、個人によってそれぞれ20-25%、200%以上の差があることが明らかにされている。だが、局所麻酔薬のPK/PDのばらつきに関する情報は乏しい。斜角筋間ブロックと腋窩ブロックではPK/PDが異なることは、臨床に携わっている麻酔科医には明らかである。Moayeriらは腕神経叢ブロックのアプローチ法によるPK/PDの違いを理解するのに役立つ新しい知見を示した。著者らは、腕神経叢ブロックを近位から行うときと遠位から行うときとで作用発現の早さや必要な局所麻酔薬の量に差があるのは、神経構造の違いに起因するという仮説を設定した。神経をはじめとする様々な組織の大きさや位置を同定するのに低温切片標本を用いた。本研究から二つの重要な知見が得られた。第一に、神経上膜内に存在する神経組織の非神経組織に対する割合は遠位にいくほど少なく、斜角筋間では45%、鎖骨下34%、烏口下34%であった。第二に、腕神経叢周囲の結合組織コンパートメント面積は遠位にいくほど大きかった。このように、神経組織と非神経組織の割合や神経上膜周囲の組織量に差があることが腕神経叢ブロックのアプローチ法によるPK/PDに違いが生ずる一因であると考えられる。このような解剖学的な違いが、患者特性(性別、肥満、筋肉質など)によって変化するのかどうかを検討することは興味深い課題である。本論文の著者らは、ブロック部位の神経組織と非神経組織の割合が神経ブロック後の神経合併症の発生率に関与している可能性があると指摘している。この点については今後さらに詳しく検討する必要がある。


Friedman Z, Siddiqui N, Katznelson R, Devito I, Davies S: Experience is not enough: Repeated breaches in epidural anesthesia aseptic technique by novice operators despite improved skill. Anesthesiology 2008; 108:914-20

この題名がすべてを言い尽くしている。血管内カテーテルや末梢神経ブロック実施時の無菌操作のガイドラインや標準的方法が公表されているにもかかわらず、その教育に関する研究はほとんど行われていない。本研究では、2年目レジデントが硬膜外カテーテル留置の教育を受け臨床経験を積んでゆく様を6ヶ月間にわたってビデオ撮影し、局所麻酔の学習過程を検討した。レジデント一人あたり90件以上の硬膜外カテーテル留置を撮影したビデオ画像を、技術、無菌操作、全体的な熟達度について解析した。件数をこなすほど硬膜外カテーテル留置の技術と全体的な完成度が向上するという強い相関関係が認められた。技術に関しては、平均約100件の経験でほぼ満点の評価が得られるようになった。一方、経験件数と無菌操作に関する点数の間には有意な相関は認められず、チェックリストに挙げた項目の半分程度でしか正確な操作が行われていなかった。本研究ではレジデントの教育法についての詳細が記されていないため、無菌操作について単にしっかり教育を実施していない可能性がある。ただ、教える側も教えられる側もカテーテルを目標の場所に正確に留置し局所麻酔薬を適切に注入することにばかりとらわれがちであり、無菌操作にはあまり注意が払われないという場合が往々にしてあることは容易に想像がつく。本研究で用いられたような無菌操作チェックリストを、研修医の教育を行う際に活用することは有意義であろう。すでに教育を受ける段階を終えた麻酔科医にとっても、無菌操作について改めて見直すのにこのチェックリストは簡便に利用できる。


Gerner P, Binshtok AM, Wang C-F, Hevelone ND, Bean BP, Woolf CJ, Wang GK: Capsaicin combined with local anesthetics preferentially prolongs sensory/nociceptive block in rat sciatic nerve. Anesthesiology 2008; 109:872-8

末梢神経ブロックに局所麻酔薬誘導体とカプサイシンを併用することによって痛覚のみをブロックすることができるか否かという問題について触れたレビューが昨年掲載された。カプサイシンはtransient receptor potential vanilloid receptor 1(C線維にのみ発現するバニロイド受容体のひとつ)を刺激してこの受容体を開口させるため、通常であればC線維にはあまり浸透しない局所麻酔薬誘導体が、カプサイシンを併用するとC線維にも十分作用する。局所麻酔薬誘導体は神経軸索内で作用しナトリウムチャネルを阻害するため、カプサイシンを併用すればtransient receptor potential vanilloid receptor 1が発現する線維のみがブロックされることになる。本研究では、比較的浸透性の低い局所麻酔薬誘導体と臨床で実際に使用されている局所麻酔薬(リドカインとブピバカイン)を使用した実験を行いこの観察結果をさらに発展させた。浸透性の低い局所麻酔薬をカプサイシンと併用すると、侵害刺激阻害の作用時間が延長することが本研究で示された。また、この現象はキシロカインやブピバカインを使用しても認められ、特に局所麻酔薬投与後にカプサイシンを神経周囲に注入するとより顕著にこの効果が得られるという、さらに注目すべき知見も得られた。この研究結果を臨床に応用するには、まだまだ多くの課題が存在する。たとえば、カプサイシンの神経毒性の検証や、カプサイシン注入時の疼痛などである。だが、本研究の結果は、不必要な運動神経遮断、交感神経遮断および深部感覚遮断をきたすことのない理想的な選択的局所鎮痛を得るための道筋を示すものである。

教訓 腕神経叢ブロックの際、アプローチ法によって必要な局所麻酔薬の量に差があるのは神経構造の違いのせいです。硬膜外穿刺が上手になっても無菌操作はかなりいい加減な人が多いようです。局所麻酔薬にカプサイシンを併用すると痛覚のみがブロックされ、しかも効果が長時間持続します。ただし臨床応用にはまだまだ解決すべき問題がたくさんあります。
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2008年を振り返って 第5回(最終回) [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年12月号より

2008 in Review: Advancing Medicine in Anesthesiology

Minville V, Laffosse J-M, Fourcade O, Girolami J-P, Tack I: Mouse model of fracture pain. Anesthesiology 2008; 108:467-72; and Freeman KT, Koewler NJ, Jimenez-Andrade JM, Buus RJ, Herrera MB, Martin CD, Ghilardi JR, Kuskowski MA, Mantyh PW: A fracture pain model in the rat: Adaptation of a closed femur fracture model to study skeletal pain. Anesthesiology 2008; 108:473-83

骨折につきものの急性痛は、コントロールが難しい。骨折の痛みにはオピオイドはあまり効果がなく、末梢神経ブロックは虚血や神経損傷の評価を妨げるおそれがある。患者によってはNSAIDsやCOX-2阻害薬は禁忌である。上記二編の論文では、新しく開発されたマウスおよびラットの骨折モデルを用いて骨折による痛み行動の経時変化が観察された。骨折したラットはそうでないラットと比べ14日間にわたり、より防御的であり、うずくまっていることが多く、体重が減少した。組織学的解析では、痛み行動と仮骨形成のあいだに相関が認められた。X線写真および3D-CTでは、骨折14日後に骨折部に形成された仮骨の石灰化が認められた。同様のマウスモデルでは、痛み行動の程度はラットと同等であったが、持続期間は短かった。マウスモデルを使用した実験では、鎮痛薬に対する反応も評価された。皮膚、大腸、硬膜などと異なり、骨の疼痛についての研究は今まで行われてこなかった。ここに挙げたような骨折モデルを用いた研究によって大腿骨骨折や肋骨骨折などに対する治療法の新局面が拓かれるであろう。また、新しい鎮痛法が骨治癒に与える影響の評価にも、このような骨折モデルは有用である。


Wu CL, Agarwal S, Tella PK, Klick B, Clark MR, Haythornthwaite JA, Max MB, Raja SN: Morphine versus mexiletine for treatment of postamputation pain: A randomized, placebo-controlled crossover trial. Anesthesiology 2008; 109:289-96

米国では年間約20万件の四肢切断術が実施されており、公衆衛生上の深刻な問題となっている。四肢切断術後の三分の一以上の症例に慢性痛が発生する。四肢切断後の慢性痛については精力的に研究が行われている。本論文では、四肢切断後の固定化した慢性痛に対するモルヒネおよびメキシチレンの有効性が精度の高い臨床試験で検証された。本研究を行ったグループは、以前、ニューロパシックペインに対するオピオイドの有効性を確立した中心的な研究グループであり、今回の研究では、中等度以上の四肢切断後慢性疼痛のある患者ではメキシチレンまたは偽薬よりもモルヒネがより強い鎮痛作用を発揮することを明らかにした。疼痛強度を33%低下させる場合のモルヒネの治療必要数は4.5、50%低下の場合は5.6であった。したがって、四肢切断後慢性痛の治療におけるメキシチレンのルーチーン使用は行うべきではなく、モルヒネの方が明らかに鎮痛効果に優れていると言える。本研究で示された知見は、今まで我々が対処に難渋していた四肢切断後慢性疼痛の治療に光明を与えるものではあるが、著者ら自身が指摘している通り、モルヒネはメキシチレンおよび偽薬よりも副作用が多く、また、患者は各治療群(モルヒネ、メキシチレン、偽薬)を8週間しか使用されていない(投与量調節に4週間、維持量投与はわずか2週間、減量中止に2週間)。さらに、自己申告による全般的な活動度は、モルヒネによって除痛が得られても改善が認められなかった。以上のような問題点があるものの、この研究はモルヒネの長期投与による疼痛治療がどのような患者に有効なのかを突き止める重要な端緒となるものである。


Wolthuis EK, Choi G, Dessing MC, Bresser P, Lutter R, Dzoljic M, van der Poll T, Vroom MB, Hollmann M, Schultz MJ: Mechanical ventilation with lower tidal volumes and positive end-expiratory pressure prevents pulmonary inflammation in patients without preexisting lung injury. Anesthesiology 2008; 108:46-54

一回換気量が大きすぎると、人工呼吸はそれ自体が肺の炎症を増悪させることがある。だからといって、麻酔中も人工呼吸の害から肺を守るため、どんな症例でもどんな場合でも一回換気量を「小さく」すべきなのであろうか? 本論文では、大手術を受ける患者40名を対象とし、5時間にわたる人工呼吸による肺の炎症とアポトーシスについて報告されている。対象患者は一回換気量12mL/kg+PEEPゼロの群か、一回換気量6mL/kg+PEEP10cmH2Oの群のいずれかに無作為に割り当てられた。呼吸器系の基礎疾患のある患者はいなかった。麻酔導入後とその5時間後にBALを行った。ガス交換の各種指標および術後肺合併症の発生頻度については有意差は認められなかった。両群ともBALで得られた気管支肺胞洗浄液の炎症性メディエイターは一回目より二回目の方が増加していた。炎症の発生原因は、手術および人工呼吸によるものか、もしくは人工呼吸のみによるものであると考えられた。一回換気量の大きい群(Vt=12mL/kg+ZEEP)の方が、炎症性メディエイター濃度が高い傾向が認められた。ミエロペルオキシダーゼ濃度およびヌクレオソーム濃度は一回換気量の大きい群(Vt=12mL/kg+ZEEP)の方が、一回換気量が小さくPEEPをかけた群(6mL/kg+PEEP10cmH2O)よりも有意に高かった。手術やPEEPの有無が炎症におよぼす影響についてさらに明らかにする必要があるとはいうものの、低一回換気量としPEEPをかける方が炎症が軽減されることが示されたわけであり、肺傷害が起こりやすいような患者ではこのような換気方法によって転帰が改善する可能性がある。

注目すべき論文は他にも当然たくさんあり、本レビューで紹介した論文の選択を我々の主観的判断によるものと受け取られるであろうことは重々承知している。しかし、このレビューを掲載する目的は、麻酔科領域における素晴らしい研究成果の実用的側面を強調し、来るべき新年およびそれ以降の我々の専門領域の進歩を促すような、重要かつ興味深い発見を紹介することなのである。ここに挙げた各論文の著者の皆さんが、本レビューとこれに目を通す読者に快く著作を提供してくださったことに感謝を表します。

教訓 マウスやラットでは骨折後の疼痛が14日間程度続くようです。四肢切断後のニューロパシックペインにはモルヒネが有効ですが、どのような患者に長期投与が適切なのかはまだ分かっていません。特に呼吸器疾患のない患者の麻酔中の人工呼吸でも、低一回換気量+PEEPの方が、高一回換気量+ZEEPよりも肺の炎症が少ないようです。
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冠動脈ステント留置症例の周術期注意点 [anesthesiology]

Anesthesiology 2009年1月号より

Practice Alert for the Perioperative Management of Patients with Coronary Artery Stents: A Report by the American Society of Anesthesiologists Committee on Standards and Practice Parameters

この勧告の目的は、以下の点について麻酔科医の注意を喚起することである。
(1)冠動脈ステント留置後の患者は周術期心筋梗塞および死亡の危険性が高い。
(2)抗血小板療法中断と周術期ステント血栓症の関係。

冠動脈ステントが成功裏に留置された後に、もっとも懸念される合併症は急性ステント血栓症である。急性ステント血栓症は心筋梗塞や死亡の原因となる。ステント血栓症予防のため、ステント留置後には通常は抗血小板薬の二剤併用療法が行われる。多くの場合、アスピリンとチエノピリジンの二剤が用いられている。冠動脈ステント留置後の患者に手術を予定され、抗血小板療法を中断すると、ステント血栓症、心筋梗塞および死亡の危険性が上昇する。以上は、2007年にAHAやACCなどの学会によるScience Advisoryで表明された見解である。ACC/AHAの非心臓手術を受ける心疾患患者の周術期評価・治療ガイドラインでも、同様の記述が掲載されている。

手術延期が可能な場合
冠動脈ステントを留置されて間もない患者では、予定手術を延期することが望ましい。

 A. 2007年Science Advisory
術中・術後出血の危険性がある予定手術は、予定されているチエノピリジン投与期間が完了するまで延期するべきである。チエノピリジン投与期間は以下の通り。
   ベアメタルステント:少なくとも一ヶ月
   薬剤溶出性ステント:出血リスクが高くない患者ではステント留置後12ヶ月

 B. 2007年ACC/AHAガイドライン
チエノピリジンまたはアスピリン・チエノピリジンを周術期に中断する必要がある非心臓予定手術は、ステント留置後以下の期間は行うべきではない。
   ベアメタルステント:4-6週間
   薬剤溶出性ステント: 12ヶ月

手術延期が不可能な場合
2007年Science Advisoryおよび2007年ACC/AHAガイドラインともに同内容の対処を勧めている。冠動脈ステントを留置されて間もない患者のチエノピリジン投与を中断せざるを得ない場合は、可能な限りアスピリン投与を周術期にも継続し、術後は可及的速やかにチエノピリジン投与を再開すべきである。

その他の注意点
抗血小板薬中断後、手術までの期間のつなぎに、半減期の短い抗凝固剤と抗血小板薬を使用する方法が提唱されている。2007年Science Advisoryおよび2007年ACC/AHAガイドラインは共同でこの治療法について検証し、経口抗血小板薬中断後にワーファリン、抗血栓薬またはグリコプロテインⅡb/Ⅲa拮抗薬を投与してもステント血栓症発生リスクが低下することはない、という結論に達した。また、2007年ACC/AHAガイドラインには、ステント血栓症発生リスクの高い患者では、周術期の抗血小板療法中断期間を通常よりも短縮することも検討すべきであると記されている。薬物溶出性ステント留置患者においては、チエノピリジンを中断しても、アスピリン投与を周術期にも継続することが望ましいことを十分認識しなければならない。

教訓 ステント留置後、延期不能の非心臓手術を実施する場合は、アスピリン投与を継続しなければなりません。

参照:
BMS留置後の予定手術までの待機期間
DES留置後の予定手術までの待機期間
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古い赤血球製剤は癌を発育させる~方法 [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年12月号より

Blood Transfusion Promotes Cancer Progression: A Critical Role for Aged Erythrocytes

同種輸血には、不適合輸血、感染、輸血関連免疫修飾などの副作用がある。臓器移植に先立ち輸血を行うと、移植臓器の生着率および患者の生存率が向上する。輸血製剤中に含まれる同種白血球によって、輸血を受けた患者の細胞性免疫(特にT/NK細胞が介する免疫)が抑制されることが明らかにされている。このことが、輸血によって発生する拒絶反応抑制や易感染性などの作用の原因であると考えられている。

輸血によって癌の成長が促進される可能性も指摘されている。Blajchmanらは、様々な動物モデルを用いた実験で同種輸血による癌成長促進作用を明瞭に示した。この動物実験でも、やはり細胞性免疫の関与が示唆されている。ヒトでは、遡及的研究の大部分および前向き研究の一部で、周術期に同種輸血を行われた場合と行われなかった場合を比較すると、輸血が行われた患者の方が予後が不良であるという結果が得られている。胃、大腸直腸、肺、頭頸部、乳腺、前立腺癌について輸血による予後悪化が報告されている。癌の種類にかかわらず、輸血による予後の悪化という現象が癌一般に当てはまる可能性がある。

しかし、倫理的な問題から、周術期の輸血そのものが術後の癌再発の独立した危険因子となるか否かを検証することは不可能である。また、輸血自体ではなく、輸血が必要となるような状況が出来するということが転帰悪化につながっているとも考えられる。白血球除去製剤と非除去製剤の比較をはじめとする、輸血の様式についての無作為化比較対照臨床試験は過去に行われている。だが、このような臨床試験では、輸血製剤から除去することができない成分(特に赤血球)の影響の評価は不能であるし、輸血総体としての独立した影響を示す類の研究でもない。

供血者の白血球が輸血を受けた患者の体内で癌を進展させる可能性についてはまだはっきりとした答えは示されていない。白血球除去製剤と非除去製剤を比較した大規模無作為化比較対照臨床試験では、大腸直腸癌の再発率は同種白血球を投与されても、投与されなかった場合と同等であるという結果が得られている。他の類似研究でも、癌患者に対して白血球除去製剤を投与しても再発率の低下などの有益性は認められないと報告されている。

本研究では、ヒトを対象とした研究につきものの限界の克服を企図した。具体的には、(1)輸血が癌再発の独立した危険因子となるか否かを検証した。(2)赤血球を含む、除去不能の血液成分の影響を評価した。(3)同種血および自己血の血液保存期間の影響を評価した。以上の目的を達するため、MADB106ほ乳類腺癌およびCRNK-16白血病の二つの非免疫原性腫瘍株をF344ラットに接種した。ラット体内における癌細胞の除去効率とラットの生存率を調べ、癌の進展程度を評価した。術中の輸血の影響についても評価した。

方法
供血ラット(WistarラットまたはF344ラット)にはハロセンを過量投与した。Wistarラットからは18mL(同種血)、F344ラットからは11mLの血液をそれぞれ心臓から採取した(自己血)。採取した血液から、血球濃厚液、赤血球のみの製剤、白血球のみの製剤、保存された血球濃厚液から採取した上清を製造した。

輸血直前に血液製剤(血球濃厚液、赤血球のみの製剤、白血球のみの製剤、保存された血球濃厚液から採取した上清)は40μmのフィルタを通過させ凝集塊を除去した。F344ラットを2.5%ハロセンで麻酔し、尾静脈に24Gカニューラを留置した。10分かけて血液製剤3mLを生食で希釈して投与した。対照群にはCPD液を投与した。その後、同じ静脈路から腫瘍細胞を接種した。

MADB106はF344ラットの乳線腺癌肺転移巣から得られる細胞株である。MADB106細胞株は静脈内接種後、肺でのみ増殖し、生体内ではNK細胞活性によって生着および増殖の程度が左右されることが知られている。接種に先立ち、腫瘍細胞のDNAを放射能標識した。40万個のMADB106腫瘍細胞を輸血後に尾静脈から接種した。接種21時間後にラットはハロセンで安楽死させ、肺を摘出しガンマ線計測器で放射線量を測定した。最初に放射能標識したときの放射性同位体による放射線量に対する肺にとりこまれた放射線量の比を算出した。この比が肺に取り込まれた腫瘍細胞の数を示すことは、我々が以前行った研究で明らかにされている。

CRNK-16細胞株は白血病が自然発生した高齢F344ラットから得られる細胞株である。60個のCRNK-16腫瘍細胞を輸血後に尾静脈から接種した。接種1週間後から、ラットの病状を毎日観察した。刺激に反応しなくなるか、体重が10%以上減少した時点(=24-48時間後に死亡すると予測される時点)で安楽死させた。その後、固形癌の有無を調べた。

開腹術は2-3%ハロセンによる全身麻酔下に実施した。除毛および消毒の後に、腹部正中を4cm切開し、小腸および大腸を体外に脱出させた。その後元に戻し閉腹した。全工程は20分で終了した。

教訓 輸血をすると患者の細胞性免疫が抑制されます。


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古い赤血球製剤は癌を発育させる~結果 [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年12月号より

Blood Transfusion Promotes Cancer Progression: A Critical Role for Aged Erythrocytes

結果

直後および短期的な輸血の影響
MADB106腫瘍細胞接種の24、4、1、または0時間前もしくは接種1時間後に同種輸血(保存濃厚血球液)を行い(対照群では生食投与)、肺からの腫瘍細胞除去の程度を調査した。腫瘍細胞接種24時間前を除くどの時点の輸血によっても、肺への腫瘍細胞取込み率が生食投与群と比較し最大5倍に増加した(P<0.05)。接種24時間前に輸血した場合は、生食投与群と比較し腫瘍細胞取込み率に有意差は認められなかった。

保存期間と組織適合性の影響
保存期間と組織適合性の影響を評価するため、同種血または自己血から作成した濃厚血球液について、0、3、9、12または14日間保存し投与した。9日間以上保存した同種血の血液製剤を投与した場合、保存期間が長引くほど生食群よりも腫瘍細胞の肺取込み率が有意に高かった(生食:0.150±0.015, 保存0日間:0.120±0.013, 保存14日間:0.501±0.082)。新鮮血の場合は、同種血でも自己血でも腫瘍細胞の取込み率に影響を及ぼさなかった。

細胞および可溶性成分の影響
以上の結果が、保存血球によるものか、保存血球から分泌される可溶性成分によるものかを判定するため、それぞれの成分について調べた。14日間保存した同種濃厚血球液を3回洗浄した後に上清または上清を含まない血球成分を得た。濃厚血球液と洗浄濃厚血球液を輸血すると、腫瘍細胞の肺取込み率が3倍以上に増えた(P<0.05)。上清に含まれる可溶性成分はこのような変化を起こさなかった。この実験は2回行われ、2回とも同じ結果が得られた。

白血球ではなく赤血球がMADB106腫瘍細胞取込み率に影響を与える
赤血球が及ぼす影響と、白血球による影響を区別して評価するための実験を実施した。同種血製剤の14日間保存に先立ち、白血球除去製剤と非除去製剤を作成した。製剤中に含まれている白血球数ではなく、赤血球数が輸血による腫瘍取込み率上昇作用に関与していることが分かった。白血球除去製剤投与群で赤血球投与量(2250μL)がもっとも多い場合と、白血球非除去製剤投与群で赤血球投与量(750μL)がもっとも少ない場合について腫瘍取込み率を比較すると、その差がもっとも顕著にあらわれた。この二群に投与された輸血製剤中に含まれる白血球数は同等であったが、赤血球投与量が多いと腫瘍細胞の肺取込み率は、生食を投与した場合の5倍に増加した。赤血球投与量が少ない群では、生食投与の場合の1.3倍にとどまった(有意差なし)。したがって、白血球数ではなく、赤血球量が輸血による腫瘍細胞取込み率上昇に寄与していると考えられた。次に、白血球が取込み率に影響を及ぼす可能性をさらに否定するために同種血から白血球のみの製剤を作成し投与した。14日間保存に先立ち白血球のみを分離した。保存白血球製剤を投与しても腫瘍細胞取込み率は上昇しなかったが、濃厚血球製剤では3倍に増加した。したがって、保存白血球(または保存白血球が分泌する物質)に癌転移促進効果はないと考えられた。最後に、赤血球が腫瘍細胞取込み率に与える影響を確認するため、完全に白血球を除去し赤血球のみを投与した(白血球除去製剤を白血球除去フィルタに通して投与)。生食投与の場合と比べ、腫瘍細胞取込み率は三倍であった(0.398±0.121 vs 1.036±0.152; P<0.05)。

手術および出血中の赤血球輸血の影響
以上の実験で得られた結果が臨床ではどのような形であらわれるのかを検証するため、手術および出血中に保存赤血球製剤を投与し、その影響を調べた。対象ラットには、全身麻酔下の開腹術または全身麻酔のみが行われ、術中または麻酔中に14日間保存した白血球除去赤血球濃厚液または生食が投与された。輸血の直前に心臓を穿刺し、血液を1mL抜き取った。赤血球輸血により、手術を受けた群も受けなかった群もMADB106腫瘍細胞の肺取込み率が増加した。手術のみによっても取込み率は上昇した(0.356±0.041から0.702±0.125)。手術が行われたラットの方が、麻酔のみのラットと比べて輸血による取込み率上昇の程度が大きかった(2.169±0.316 vs 0.912±0.158)。

CRNK-16細胞株接種個体の生存率におよぼす影響
CRNK-16細胞株を摂取したラットに、保存白血球製剤、保存濃厚赤血球製剤または保存濃厚血球製剤、新鮮自己血から作成した製剤かまたは生食を投与した。赤血球製剤および濃厚血球製剤を投与されたラットの生存率は、他の製剤を投与されたラットの生存率より有意に低かった。白血球製剤投与群は、自己血製剤または生食投与群と同等の生存率を示した。つまり、CRNK-16白血球モデルを用いたこの実験から分かったことは、保存白血球ではなく保存赤血球が輸血による生存率低下に寄与しているということである。

教訓 輸血だけでなく、手術自体も癌の発育を促進させます。
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古い赤血球製剤は癌を発育させる~考察 [anesthesiology]

Anesthesiology 2008年12月号より

Blood Transfusion Promotes Cancer Progression: A Critical Role for Aged Erythrocytes

考察
輸血によって癌が発育進展するのは、主に同種白血球の作用のせいであると考えられてきた。輸血による悪影響を防ぐための一般的な対策は、白血球除去製剤の使用である。我々はここにはじめて、白血球または可溶性成分ではなく赤血球が、輸血による癌発育促進作用に関与していることを動物実験で示した。また、赤血球による癌発育促進作用は、組織適合性に関わりなく血液の保存期間によって、その作用の大きさが左右されることも明らかになった。自己血、同種血の別を問わず、9日間以上保存された製剤を投与すると癌発育促進作用が認められ、新鮮血であれば自己血でも同種血でもこのような作用は見られなかった。保存によって赤血球が劣化すると、癌発育促進作用が発現するものと考えられた。

癌患者では輸血は周術期に行われることが多い。周術期は、微小転移巣があればそれが発育したり、癌細胞が播種され新しい転移巣が形成されたりする危険性が高い。悪性腫瘍は崩れやすいため、手術によって腫瘍が摘出される際に、腫瘍細胞が循環血液中に播種される。実際に、癌の摘出手術を受けた患者の大多数では、術後も体内に癌細胞が隠れているという報告がある。本研究では、二つの腫瘍モデルを用いて循環血液中に癌細胞が存在する状態を模擬的に作成し、輸血による影響を調査した。輸血が行われた場合の腫瘍-宿主相互作用においては、細胞性免疫、特にT細胞およびNK細胞による微小残存腫瘍細胞の除去が重要な役割を果たす。多くの原発性腫瘍は免疫反応を引き起こさないように変化したり(非免疫原性)、適応免疫を回避するような機序を形成したりする。細胞毒性T細胞およびNK細胞は、このような状況下でも悪性組織に作用し、転移を抑制し、原発巣が摘出された後にも残存する腫瘍細胞を根絶する。本研究で用いた二つの腫瘍モデルは、いずれも非免疫原性であり、生体内では自然免疫の主体であるNK細胞活性によって発育進展の程度が決まる。今回の研究では、過去に腫瘍細胞に曝露されていなくても輸血直後から癌発育促進作用が発揮されることが分かった。したがって、もしこの過程に免疫が関与しているとすれば、それは自然免疫である。自然免疫は、腫瘍細胞の存在を検知すると直ちに反応し、腫瘍を排除するような作用を発現する。本研究の結果から、癌患者における輸血の影響や、残存癌細胞の除去に自然細胞免疫(NK細胞)が関わっていることが示唆される。

腫瘍モデルは、いかに先進的なものであろうと、ヒトの体内における癌の成長や、癌と免疫系やその他の生理的仕組みとの相互作用といった、長期にわたって起こる複雑な現象を十分になぞらえることができるわけではない。つまり、腫瘍モデルを用いた動物実験では、ある現象が発生する機序やヒトでも起こりうると推測される臨床的事象についての示唆的事実が得られるのが関の山であり、これらの知見は最終的にはヒトを対象とした実験で検証する必要がある。MADB106を用いたモデルは実験的転移モデルであり、原発腫瘍を発生させる目的で用いるものではない。しかしMADB106腫瘍細胞はNK細胞に対する感受性が高く、また感受性が高い期間が接種後24時間までという特徴を持っている。したがって、本研究では、癌に対する免疫能の程度とその持続時間を評価するのにMADB106腫瘍細胞が適していると考え使用した。また、この腫瘍モデルは癌の血管外浸潤や標的臓器への浸潤の模擬実験にも用いられている。MADB106腫瘍細胞の肺への取込みの程度は、数週間後にできあがる転移巣の数を早期に予測する指標であり、NK細胞の枯渇、エタノール中毒、アドレナリン投与、プロスタグランディン投与、手術侵襲などによって癌転移が促進されることを明らかにするのにもMADB106腫瘍細胞を用いた動物モデルが用いられている。CRNK-16白血病モデルは腫瘍の血行性転移をよく反映していると考えられる。CRNK-16はF344ラットに自然発生する白血病から得られる悪性度の高い腫瘍細胞株である。ヒトの悪性腫瘍で多く認められるように、主要組織適合複合体の発現程度が低いため、有効な免疫記憶の形成を促すことがない。したがって、CRNK-16腫瘍細胞の接種によるin vivo実験は、実際にヒトの体内で起こる癌細胞成長を知るのに役立つと言える。

保存または劣化赤血球輸血は癌の血行性転移を促進する可能性がある。その過程には免疫を介した機序、免疫とは別の機序などさまざまな仕組みが関わっていると考えられる。輸血による癌成長促進には宿主の免疫反応の関与していることが複数の研究で明らかにされてはいるが、供血者赤血球の関与については今まで指摘されたことがない。劣化赤血球が投与されると、宿主の自然免疫のエフェクター細胞の受容体が劣化赤血球に占拠され、腫瘍細胞には免疫細胞が作用しないのではないかと考えられる。輸血された赤血球のうち宿主免疫細胞の標的になるのがわずか0.1%であると仮定しても、この赤血球の数は残存腫瘍細胞の数を大幅に上回り(10の数乗倍)、また、宿主免疫細胞の数をも凌駕する可能性がある。このような事態が出来すれば、宿主免疫細胞が腫瘍細胞を検知して排除する効率が著しく低下するであろう。また、宿主のサイトカインやホルモンの働きも関与している可能性がある。劣化赤血球は宿主の脾臓および肝臓の白血球によって除去される。輸血後には脾臓が分泌するIL2が減少し、単球由来のPGE2が増加することが明らかにされている。IL2もPGE2も細胞免疫、特にNK細胞活性を抑制することが知られている。今回の実験では、劣化した赤血球が同種血由来であれ自己血由来であれ同じように癌の成長を促進する作用を示したが、以上の仮説はそれぞれが同種血にも自己血にも当てはまる。

本研究の問題点は、既述した通り動物実験であるため、ヒトの癌をそのまま模したものではないことがまず挙げられる。次に、輸血による影響のうち比較的短期的にあらわれるものを主に調査対象としたことも問題点の一つと考えられる。ヒトの赤血球もラットの赤血球もアデニン添加CPD液中で保存すると劣化するが、ラットの赤血球の方がいくつかの指標において早く変化があらわれる。したがって、ヒトではどれほどの保存期間で赤血球輸血による癌成長促進作用が出てくるのかは、ヒトの血液であらためて検証しなければ分からない。最後に、ラットまたはヒトの劣化赤血球がもたらす影響の分子レベルでのメカニズムの解明は本研究の目的の埒外であったため、より深い理解に到達し、有効な予防法を確立するには、さらに研究を進める必要がある。

以上のような問題点があるとはいうものの、本研究で得られた知見は意義深いものであろう。赤血球輸血が回避不能な場合があることを考えると、癌患者では新鮮な輸血製剤を試してみる価値がある。自然免疫やサイトカインの関与する機序および非免疫的な機序の解明にはさらに研究を行う必要がある。別の動物実験では、同種白血球が癌成長促進に関与している可能性が指摘されている。しかし、本研究と異なりそれらの研究では、輸血の数日前または数日後に対象動物を腫瘍細胞に曝露させているため、本研究とは異なる機序を反映した実験であると言えよう。つまり、以上を総合すると、宿主-腫瘍相互作用の異なる側面に対し、様々な機序がいろいろなタイミングで作用しているものと思われる。我々は、供血者白血球のみによって輸血による悪影響を説明できるわけではなく、したがって、癌患者における輸血の悪影響を克服するには白血球除去だけでは不十分であると考えている。長期保存された赤血球が及ぼす影響を、癌患者についても、癌でない患者についても検証すべきである。悪性腫瘍の手術および感染などの合併症リスクが高い手術では白血球除去を行った新鮮血を用いることによって、現状より安全性の高い輸血療法が実現する可能性があり、このような輸血法についての臨床試験は行う価値があると考えられる。

教訓 輸血で癌の発育が促進されるのは、白血球ではなく保存期間が長く老朽化した赤血球の働きのせいだそうです。癌患者に輸血をするときは、なるべく新しい製剤を使うのがよさそうです。

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