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急性放射線症候群の経過 [misc]

2001年に放映されたNHKスペシャルです。

NHKスペシャル『被曝治療83日間の記録 from Egg Rice on Vimeo.



NHKスペシャル「被曝治療83日間の記録」(2001年5月13日放送)

Day#1 1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工施設において、会社のマニュアルに従いバケツと柄杓を用いて作業員3名(35歳男性、40歳男性、54歳男性)がウラン濃縮作業に携わっていたところ、臨界発生。作業員には臨界の危険性は知らされていなかった。35歳男性作業員の被曝量は、一般成人年間許容量の20000倍であった(推定16-20シーベルト以上)。作業員は直ちに千葉県の放射線医学総合研究所に収容された。以下、35歳男性作業員の経過を記す。

Day#3 東大病院へ転院。ICUの個室へ収容される。元気であったが、最も被曝が強かった手は日焼けしたように赤く腫れ、痛みを訴えていた。染色体は著しい断片化と構造異常を呈していた。即ち、体の設計図が失われ血液、肝臓、皮膚、消化管などが再生できない状態であった。

Day#5 白血球数減少。

Day#6 白血球数が正常値の十分の一程度まで低下したため無菌室に収容。妹をドナーとする末梢血幹細胞移植を実施することになった。

Day#7 末梢血幹細胞移植。この時点では、家族と談笑できる状態であった。

Day#8~皮膚が再生しないため、心電図電極などを張り替えると古い皮膚が剥脱し、皮下組織が露出するようになった。最終的には電極やテープを貼る場所がなくなった。看護記録に「もう嫌だ」「家に帰る」「やめてくれ」などの記載あり。

Day#11 肺水腫のため呼吸困難に陥り気管挿管の上、人工呼吸管理開始。

Day#18 末梢血幹細胞移植が成功し、白血球数増加。正常値まで回復した。

Day#25 生着した妹の細胞の染色体に異常が見つかる。被曝した患者体内の物質が変化を来し自ら放射線を発するようになり、妹の細胞を障害したものと考えられた。

Day#27~大量の下痢(>3L/day)が続くようになる。内視鏡検査で消化管粘膜の壊死が認められる。下痢出現から3週間後には大量の消化管出血が始まった。消化管出血に対し大量輸血が連日行われた。全身の皮膚が喪失し、全身をガーゼで被覆。毎日、半日かけて皮膚の処置を行った。眼球結膜からも出血。皮膚からの浸出液および下痢で一日あたり10Lの水分が失われていた。皮膚からの浸出液を減らすため、培養皮膚を用いた皮膚移植が繰り返し行われたが(計70枚)、一度も生着しなかった。

Day#59 心停止し、CPR。一時間後、心拍再開。腎不全、肝不全。

Day#65 マクロファージの異常による血球貪食症候群出現。輸血を繰り返す。

Day#83 1999年12月21日、死亡。筋肉は放射線の影響を最も受けにくいと言われているが、骨格筋の筋繊維はほとんど残っていなかった。しかし、心筋のみは正常な組織像を呈していた。理由は不明。

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