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食道内圧を指標としたALI/ARDSの人工呼吸管理~結果と考察 [critical care]

NEJM 2008年11月13日号より

Mechanical Ventilation Guided by Esophageal Pressure in Acute Lung Injury

結果
基準時点における両群の患者特性は同等であった。APACHEⅡスコア平均点数(±SD)は26.6±6.4点であった。不全臓器数の中央値は2であった(四分位範囲1-3)。両群とも有害事象や圧外傷の発生例はなかった。中間解析で研究中止基準を満たしたため61名の患者を登録した時点で、研究は中止した。食道バルーンカテーテル群の72時間後P/Fは、対照群とくらべ88mmHg高かった(95%CI 78.1-98.3; P=0.002)。

基準時点における人工呼吸器設定および各測定値は両群で同等であった。49名(80%)がARDSの診断基準(P/F<200mmHg)を満たしていた。両群間に基準時点P/Fの有意差は認められなかった。初日の一回換気量平均減少量は、対照群が67mL、食道内圧準拠群が44mLであった。対照群より食道内圧準拠群の方が酸素化と呼吸器系コンプライアンスに大きな改善が認められたが、VD/VTについては両群間に有意差は認められなかった。食道内圧準拠群では当初72時間でP/Fが131mmHg上昇した。対照群では49mmHgであった。24時間後の時点で、食道内圧準拠群の方が対照群よりP/Fが有意に高かった(P=0.04)。食道内圧準拠群では呼吸器系コンプライアンスの有意な改善が認められ、かつ対照群より有意に高かった(P=0.01)。無作為化割当当日におけるPEEP値変更幅は、対照群では一人を除く全員で5cmH2O未満、食道内圧準拠群はばらつきが大きく多くの患者でPEEPが相当上げられていた。また、24時間、48時間、72時間後の時点で食道内圧準拠群のPEEPは対照群と比較し有意に高かった。24時間後のPEEPの群間差は7.7cmH2Oに達し、食道内圧準拠群の平均PEEP値は18.7±5.1cmH2Oであった。ただし、食道内圧準拠群31名のうち3名においては、肺内外圧差の初回測定値に基づきPEEP値が割当前より下げられた。食道内圧準拠群の平均呼気終末肺内外圧差は、24時間、48時間、72時間後のいずれの時点においてもゼロ以上であったが、対照群は終始マイナス値であった(P<0.001)。吸気終末プラトー圧は食道内圧準拠群の方が対照群より有意に高かった(P=0.003)。しかし、吸気終末肺内外圧差については群間差を認めず(P=0.13)、24cmH2Oを超えた例は皆無であった。

28日後における人工呼吸器非装着日数およびICU滞在期間については両群間に有意差を認めなかった。対象患者全体の28日後死亡数は61名中17名であった(28%)。死亡群と生存群の比較では死亡群の方がAPACHEⅡスコアが有意に高かった(31.5±4.5 vs 24.7±6.1, P<0.001)。しかし、基準時点のP/Fについては生存群と死亡群のあいだに有意差は認められなかった(153.2±53.7mmHg vs 143.8±58.0mmHg; P=0.56)。食道内圧準拠群の28日後死亡率は対照群より低かったが有意差はなかった(RR, 0.43; P=0.06)。多変量解析を行い基準時点のAPACHEⅡスコアによる調整をすると、食道内圧準拠プロトコルの方が従来法と比較し28日後死亡率を有意に低下させることが分かった(RR, 0.46; P=0.049)。180日後死亡率については両群間に有意差を認めなかった。しかし、Kaplan-Meier生存曲線は、両群のカーブが180日後まで一貫して乖離していた。Cox回帰分析では、APACHEⅡスコアによる調整後の対照群と比較した食道内圧準拠群の180日後死亡率のハザード比は0.52であった。

考察
食道内圧は信頼性と精度が高く、反復測定も可能で、人工呼吸管理に有用であることが分かった。ALI/ARDS患者の人工呼吸器設定の指標に食道内圧を用い、酸素化および呼吸器系コンプライアンスの有意な改善が得られた。この改善が、吸気終末肺内外圧差を生理的範囲内に維持したまま得られたことを強調したい。さらには、特に重症群において28日後生存率の改善傾向に、食道内圧を指標とした管理による呼吸機能の改善が寄与していた。ALI動物モデルを使った幾多の研究では、一回換気量またはプラトー圧を制御していても呼気終末肺容量または呼気終末圧を低下させると肺損傷が起こる可能性があることが示されている。これらの研究では、PEEPを高くすると肺を保護する効果がある可能性が示唆されている。しかし、ARDS患者では一人一人の患者の生理的特性に応じた適切なPEEPの設定が困難であるとされてきた。したがって たとえばARDSNetの低一回換気量研究では、胸壁または肺のメカニクスを無視し、動脈血酸素化のみを指標にPEEPとFIO2が設定されている。引き続いて行われたALVEOLI試験(Assessment of Low Tidal Volume and Elevated End-Expiratory Volume to Obviate Lung Injury trial)では、各患者の酸素化に応じて設定された標準的PEEP値とそれより高いPEEPが比較されているが、PEEPを高くすることによる有効性は認められなかった。最近行われたLung Open Ventilation Studyでも以上と同様の方法でPEEPが調節されたが、高いPEEPの有効性は示されなかった。Expiratory Pressure Study Group試験では、PEEPを高く設定しプラトー圧を28-30cmH2Oとしたところ、対照群(PEEPが低い群)と比較し人工呼吸器非装着日数、臓器不全のない日数、酸素化および呼吸器系コンプライアンスの改善が認められたが、生存率については有意差は得られなかったと報告されている。他にも、圧-容量曲線やストレス係数を用いて高めのPEEPの有効性を検証した研究はあるが、結果は一定しない。今までに行われた以上の研究で高めのPEEPによる効果が示されなかった一因は、胸腔内圧または腹腔内圧が高い患者を対象に含んでいたことにあると考えられる。胸腔内圧または腹腔内圧が高いと、「高め」とされるPEEPでも呼気終末に肺胞が虚脱する可能性がある。食道内圧を指標にPEEPを決定すれば、断続的な肺胞虚脱と過膨張を防ぐことができると我々は考えた。今回のパイロット研究でプロトコルに従いPEEPを低下させた患者数は、食道内圧準拠群で30名中3名、ARDSNet群では31名中12名であった。さらに注目すべきはPEEPを5cmH2O以上上昇させた患者数は、食道内圧準拠群が18名であったのに対し、ARDSNet群では1名のみであったことである。したがって、食道内圧によってPEEPを設定する方法と、ARDSNetのPEEP設定法の根本的な違いは、食道内圧を用いる方法ではPEEPを高くすることによって恩恵を被ることができる患者をARDSNetの方法よりも確実に同定することができることにある。食道内圧を指標とした方法に関連する有害事象は発生しなかったが、今回の研究は対象患者数が少なかったため、頻度の低い有害事象に関しては不明である。現在、重症患者における仰臥位の食道内圧測定の信頼性については疑問が投げかけられている。体位と肺の状態によってアーチファクトが生ずる可能性があることが、その最大の理由である。肺内外圧差-容量曲線と比較すると、食道内圧はALI/ARDS患者の人工呼吸管理にはあまり用いられていない。しかし食道内圧のアーチファクトは、ALI/ARDS患者の食道および胸腔内圧を干渉するほどには大きくないと考えられる。例えば、仰臥位では立位や座位のときよりも心臓の重量のぶん食道内圧が高くなるが、その差は2.9±2.1cmH2Oであり、肺に機械的異常があれば食道内圧の呼吸性変動が小さくなるが、それも2-3cmH2O程度のことである。一方、急性呼吸不全患者では呼気終末食道内圧は4から32cmH2Oと幅広く分布している。今回の研究の問題点は、単一施設において手練れの優秀なスタッフが管理を行ったことと対象患者数が少なかったことである。今回採用した主要評価項目は酸素化であったが、今までの研究では酸素化の改善が高い気道内圧を通じて得られた場合は死亡率が変化しないかもしくは上昇することが示されている。したがって、大規模試験が行われるまでは今回得られた転帰の改善が確実なものかどうかは明白であるとは言えない。

まとめ
ALI/ARDS患者では、肺内外圧差概測値に基づいた人工呼吸器設定によって臨床的有効性が得られる可能性がある。この方法によって呼吸機能および生存率が改善することが期待されるため、さらに詳細な研究が望まれる。

教訓 過膨張を防ぎつつ肺が十分開くように、食道内圧を指標にしてPEEPを設定したところ、酸素化は改善しましたが、転帰の改善は認められませんでした。つまり、ALVEOLI試験と同じような結果になりました。editorialには、酸素化の改善が臨床的転帰の改善につながるという考え方に疑問が呈されています。
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ALIに対するリクルートメント手技~方法と結果 [critical care]

American Journal of Respiratory and Critical Care Medicine 2008年12月1日号より

Recruitment Maneuvers for Acute Lung Injury  A Systematic Review


急性肺傷害(ALI)は胸部X線写真で左房圧上昇によるものではない両側浸潤影を呈する急性発症の低酸素血症(P/F<300)のことである。P/F<200のALIをARDS(急性呼吸窮迫症候群)と呼ぶ。様々な肺要因または肺外要因がALI/ARDSの発症原因となり得るが、もっとも頻度の高いのは肺炎と敗血症である。ALI/ARDSは臨床上ありふれた病態であり、年間10万人あたりそれぞれ78.9例、58.7例発生する。ALI/ARDSの死亡率は高く、最近の観測研究によれば34-58%に達する。ALIの死亡率を低下させることが証明されている治療法はただ一つ、低一回換気量とし気道内圧を低く保つような人工呼吸管理を行うことである。気道内圧と換気量を制限することに加え、肺保護的換気法を実施するにあたってリクルートメント手技(recruitment maneuvers; RMs)は重要な一要素として位置づけられよう。リクルートメントとは、意図的に肺内外圧差を一過性に増大させることによって、含気が少なかったりなかったりする虚脱しやすい肺胞を十分に開存させるという一連の変化をもたらすダイナミックなプロセスを指す。この一連のプロセスを実現させるには、いろいろなやり方がある。ALIにおいてRMsを実施する意味は、肺胞のリクルートメントを改善し呼気終末肺容量を増加させることにある。呼気終末肺容量を増加させるとガス交換が改善するとともに、不安定な肺胞群が周期的に開放したり虚脱したりすることを防ぐことによってVILI(人工呼吸による肺傷害)を軽減できる可能性がある。さらに、リクルートメントによって含気のある部分が増えれば、比較的傷害の少ない肺胞が過膨張することによるVILIの発生を抑制できると考えられる。しかし、RMs自体が、すでに含気が十分ある肺胞を直接的に過膨張させるのであるから、かえってVILIが増悪するという意見もある。ALIに対するRMsの有用性についての臨床研究の結果は一定しない。実施の時期(早期 vs 晩期)やALIの原因(肺 vs 肺外)などの要素によってRMsの効果や、RMsに対する生理学的反応が左右されるのであろう。また、RMのやり方(一定の気道内圧を維持して肺を膨らませる vs 段階的にPEEPを上昇させる)によっても効果は異なるであろうし、RMの最適な圧、時間、実施頻度は未だに大規模臨床試験で検証されていない。RMsに関連する有害事象として多いのは一過性の低血圧および酸素飽和度低下であるが、圧外傷(気胸)、不整脈、バクテリアルトランスロケーションなどの重篤な有害事象も報告されている。我々は、ALIにおけるRMsの効果および安全性については賛否両論がある現状を踏まえ、公表されている研究が示す知見を総合するためこの系統的レビューに着手した。本レビューでは成人ALI患者に対するRMsによる生理学的影響(呼吸に関する変数の変化)と有害事象(RMs実施中および実施後)に焦点を当てた。

方法
Medline、AMED、CENTRAL、EMBASE、CINAHLおよびHEALTHSTARを検索した。さらに、検索で得られた論文の引用文献、RMsに関連するレビュー、および最近(2003年-2007年)に行われた主要学会の抄録(ATS、ESICM、SCCM)も検討した。以下の選択基準に合致する論文を収集した:(1)無作為化臨床試験または比較対照観測研究または症例集積研究 (2)18歳以上の患者のみを対象としている (3)30分未満のRMsが繰り返し行われている  言語による制限は行わなかった。生理学的影響または有害事象について報告されていない研究は除外した。

結果
40編の論文が本レビューの解析対象となった。この40編の対象患者数の平均は30名(8-366名)で総計は1185名であった。40編のうち前向き研究は32編、無作為化比較対照試験は4編、遡及的コホート研究は4編であった。17編では対象候補患者が連続的に登録されていた。大部分(78%)の研究では、RMsが実験目的で行われていた(つまり、日常臨床の一環としてのRMsを調査していたのではなく、RMs後の転帰を検証する目的のためだけにデザインされた研究であった)。RMsのやり方としては、一定の気道内圧を維持して肺を膨らませる方法がもっとも多く採用されていた。全40編の対象患者の平均年齢は52±9.5歳、APACHEスコアは平均21±3.3点、Lung Injury Scoreは平均3.0±0.26点であった。基準時点における換気様式は、平均プラトー圧28±4.8cmH2O、平均一回換気量7.0±1.2mL/kg、平均PEEP12±2.1cmH2Oであった。36編(786名)でALIの病因が示されていた。43%が肺自体の要因によってALIを発症していた。全体の22%の研究で、腹臥位が行われていた。

31編(636名)でRMの生理学的影響が示されていた。RM後には酸素化が有意に改善していた(PaO2 106 vs 193mmHg; P<0.001、P/F 139 vs 251; P<0.001)。RM後3~6時間以降の酸素化について報告されていた論文は少なく、多くの論文ではRM後15~20分以内に酸素化が急速に低下したことが報告されていた。心拍数(104 vs 105bpm; P=0.04)、pH(7.34 vs 7.30; P=0.04)、CVP(13 vs 16mmHg; P=0.009)はいずれもRM後に有意に上昇したが、その臨床的意義は薄いと考えられる。その他の血行動態関連パラメータ(平均動脈圧、PCWP、心拍出量、心係数、混合静脈血酸素飽和度)についてはRM前後に有意な変化を認めなかった。換気のパラメータは32編(548名)で報告されていたが、RM後にPEEPがRM前より高く設定されたこと(11 vs 16cmH2O; P=0.02)以外にはRMによる有意な変化はなかった。呼吸器系コンプライアンスはRM後の方がわずかに高かった(34 vs 35mL/cmH2O; P=0.03)。

有害事象について評価した研究は31編(985名)であった。有害事象の大部分はRM実施中に発生し、低血圧(12%)と酸素飽和度低下(8%)がもっとも多かった。圧外傷(1%)、不整脈(1%)などの重篤な有害事象の発生頻度は低かった。有害事象のためRMsを中断した患者は10名(1%)のみであった。有害事象が一切発生しなかったと報告されていた論文は17編(287名)であった。20編(409名)全体の死亡率は38%であった。

前向き研究(32編)のみについての解析でも、全体の解析と同様の結果が得られ、酸素化の有意な改善、心拍数、pH、CVP、呼吸器系コンプライアンスのわずかな上昇が認められた。RMs中の低血圧および酸素飽和度低下の発生頻度は、全体よりも有意に低かった。生理学的パラメータおよび換気パラメータの収集タイミング(RM後の時間)は研究によってばらつきがあった(3分から120分)。データ収集タイミングによる有害事象発生頻度の差は認められなかった。一定の気道内圧を維持して肺を膨らませる方法についてのみ解析したところ、P/Fの変化のみが有意であった(149 vs 235; P=0.005)。その他のパラメータについては主解析と同様の変化を認めたが、有意な変化ではなかった。RMsのやり方による有害事象発生頻度の差は認められなかった。

RM前後のPEEP値の差が5cmH2O以下の患者群においてもRM後にP/Fが有意に改善し、呼吸器系コンプライアンスもわずかに上昇していた。RM前後のPEEP値の差が5cmH2O以下の患者群と5cmH2Oを超える患者群との比較では、有害事象発生頻度に差を認めなかった。基準時点のP/FとRMsによる酸素化の改善度の間に相関は認められなかった。基準時点の呼吸器系コンプライアンスが低い(<30mL/cmH2O)患者群では、RMによる生理学的パラメータおよび換気パラメータの有意な変化は認められなかった。しかし、基準時点の呼吸器系コンプライアンスが高い(30mL/cmH2O以上)患者群では、RM後にP/Fは有意に改善した。呼吸器系コンプライアンスによる有害事象発生頻度の差は認められなかった。

教訓 recruitment maneuversに関するしっかりしたRCTはほとんど行われていません。

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ALIに対するリクルートメント手技~考察 [critical care]

American Journal of Respiratory and Critical Care Medicine 2008年12月1日号より

Recruitment Maneuvers for Acute Lung Injury  A Systematic Review

考察
成人ALI患者約1200名を対象に系統的レビューを行い、RMsによって一時的ではあるものの有意な酸素化の改善が得られることが分かった。RM後にはCVPが少し上昇するが、それ以外の血行動態および換気に関する変数は短期的には臨床上有意な変化を示さない。低血圧および酸素飽和度低下がRMs中の有害事象としてもっとも頻度が高いのだが、数は少ないものの重篤な有害事象(圧外傷や不整脈)も発生し、ごく少数の例では有害事象のためRMsが中断されていた。本研究の対象となった論文すべてをあわせた死亡率は、過去に行われたALI患者を対象とした観測研究における死亡率と同等であった。多くの研究で、RMによる酸素化の改善が示されている。しかし、RM後24時間、場合によってはRM後15~20分でRMによる酸素化改善効果は急速に失われるという報告も多い。動物モデルを用いた実験では、RMのやり方によってRMによる酸素化改善の持続時間が異なるという結果が得られている。また、RM後にRM前よりも高いPEEPをかけることも、RMによる酸素化改善の持続に影響を及ぼしているであろう。今回のレビューで対象となった論文のうちRM後6時間以降の酸素化について検討しているものはほとんどなかったため、酸素化改善効果の持続時間について確かめることはできなかった。ALI患者における酸素化と死亡率の相関についての観測研究では、相関ありという結果もあれば、相関なしという結果も報告されており、RMsで得られるような一時的な酸素化改善の意義には疑問を持たざるを得ない。さらに、ARDSネットワークの研究では、低一回換気量群は対照群と比較しDay1の酸素化が不良であったにも関わらず、生存率は対照群より良好であった。しかし、ARDSネットワーク研究の対照群では、高一回換気量によって気道内圧が持続的に高く保たれ、一方、RMsでは気道内圧が高くなるのは一過性である。酸素化を改善すること自体が有害であるとは考え難いが、どのような方法で酸素化を改善するかが問題であると考えられる。RMsによる酸素化改善によってVILIが減少し、臨床的な転帰が改善するのかどうかはまだはっきりしないが、肺保護的換気法にRMsを組み合わせることによって生存率が改善することを示した研究も二、三発表されている。危機的低酸素血症に陥り、万策尽くしても改善が得られないようなALI患者では、RMsが有益である可能性がある。

RMsによる一過性の酸素化改善の意義が確立されていない現状では、ALI患者にRMsを実施するか否かを決定する際に問題となるのは、合併症である。RMsによる有害事象(低血圧および酸素飽和度低下)はRMs実施中に発生することがもっとも多く、通常は一過性で自然回復した。ただし、少数例(1%)においては有害事象のためにRMsを中断しなければならなかった。重篤な合併症(圧外傷、不整脈)の発生は稀であった。RM中の肺内外圧差増大は一過性であるとはいえ、比較的健康な肺胞の過膨張によるVILIの発生を促進する可能性があるのではないかと考えられる。さらに、大部分の患者ではRMs中に鎮静薬and/or筋弛緩薬が必要であり、このことが長期的な転帰(認知機能や神経筋機能)に間接的に影響する可能性がある。本レビューでは、RMsは概ね安全に実施することが可能であるという結果が得られたが、RMsによるリスクおよび合併症は患者によって大きく異なることに留意すべきである。PEEPを上げれば酸素化は改善することが多いため、RM前後の設定PEEP値の差(5cmH2O以下の群と5cmH2Oを超える群)によるサブグループ解析を実施した。両サブグループともRMsによって酸素化の改善が認められたが、RM前後のPEEP値の差が5cmH2Oを超える群では有意な改善ではなかった。ただしこれは、この群の患者数が少なかったことが影響していると考えられる。RM後のPEEP値は、RMによって開いた肺胞を安定的に開存させておくのに重要な意味を持つ。RMによってせっかくリクルートした肺胞の開存を維持できなければ、肺胞が周期的に開放したり虚脱したりすることによるVILIを悪化させる可能性があり、また、多くの研究でRMsによる酸素化改善効果が維持されないのはこの現象が関与しているのではないかと考えられる。RM後の最適なPEEP値を同定する目的で行われた諸研究では、RMsによる酸素化改善効果が少なくとも4~6時間は持続するという結果が報告されている。RMsによる酸素化改善効果が長期的に持続することが、ALI患者の臨床的転帰に影響を及ぼすのかどうかは分かっていない。系統的レビューという枠組みの中では、酸素化改善効果がRMsによるものなのかPEEPによるものなのかを区別することができない。これを確かめるには比較対照試験を行わなければならない。しかし、本研究で得られた結果は、今後行われる臨床研究の大本となる仮説を立てるのに役立つものと我々は確信している。

本研究では、RMsによる酸素化改善の程度がALIの重症度によって異なることが明らかになった。当初のP/Fが低い患者にRMsを行うと酸素化が有意に改善するが、呼吸器系コンプライアンスが低い患者にRMsを行っても酸素化は改善しないという結果が得られた。基準時点における呼吸器系コンプライアンスが低い患者において酸素化の改善が認められないのは、呼吸器系コンプライアンスが低いことはすなわち肺胞のリクルートが容易でないということであり、このような患者群においてはRMsによる危険性が利益を凌駕するものと考えられる。胸壁コンプライアンスが低い患者ではRMs中に低血圧が高頻度に発生し、しかもRMsによる酸素化改善効果も小さいと報告されているが、今回の解析ではそのような傾向は認められなかった。一方、Gattinoniらは当初重症度の低いALI症例(呼吸器系コンプライアンス49±16mL/cmH2O; P/F220±70mmHg)では、RMsの標的肺(つまりより強い病的変化があり無気肺に陥っている肺の部分)が少ないためRMsを行っても効果が薄いことを報告している。今回の系統的レビューの対象となった患者は、Gattinoniらの研究で対象となった患者と比較すると、ALIの重症度が高かったためRMsによって酸素化が改善するという結果が得られたのであろう。

本研究のその他の問題点を以下に示す。第一に、対象となった研究の内容が不均一で、RMのやり方や評価対象項目がばらばらであったため、定量的なメタ分析を行い相対危険度やオッズ比を示すことができなかった。また、RMsを対象とした無作為化比較対照試験がほとんど行われていないため、ALI患者におけるRMsの効果について十分な結論を得ることはできなかった。しかし、今回の解析結果はその数少ない無作為化比較対照試験の結果と近似していた。第二の問題点は、大多数の研究において肺胞のリクルートメントの程度が直接的には評価されていなかったことである。したがって、本研究で得られた酸素化の改善という効果が、RMsだけによってもたらされたものであると言い切ることはできない。酸素化の改善のみがリクルートメントによる影響を反映しているのではないであろう。というのも酸素化は、心拍出量などの要素にも左右されるからである。しかし、RMを行っても心拍出量(心係数)は有意な変化を示さないと報告されている。ALIにおける動脈血低酸素血症の主因は、含気の少ない部分が肺に存在することによるシャントの発生であるため、RMによるリクルートメントが直接的に一過性の酸素化改善をもたらしていると考えてもよかろう。第三に、RMによる酸素化改善が一時的なものであることを踏まえると、今回対象となった研究における酸素化データ収集のタイミングには大きな幅があったため、論文で提示されている酸素化データがRMsの真の効果を反映していない可能性がある。しかし、今回対象とした研究ではRM実施後最長120分後にデータを収集したものもあり、RM後これほど長時間経過してから酸素化データを得たものを含めれば、RMsによる酸素化改善を否定する方向に結果が歪められた可能性があるにも関わらず、本研究ではRMsによる酸素化改善が示された。第四の問題点は、基準時点におけるALI重症度によるサブグループ解析の結果が、採用したP/F値および呼吸器系コンプライアンスの閾値の影響を受けた可能性があることである。両パラメータの閾値は、臨床的側面と実用的側面のバランスがとれるように採用した。つまり、実用的側面を考慮することによって、各群に十分数の患者が配置され、適切な比較が可能となったと考えられる。

まとめ
成人ALI患者にリクルートメント手技(RMs)を実施すると、酸素化の短期的な改善が得られ、かつ、重篤な合併症はほとんど発生しない。RMs中には一過性の低血圧および酸素飽和度低下が認められることが珍しくないが、両者とも自然回復し重篤な後遺症につながることはない。当初の呼吸器系コンプライアンスが低いALI患者ではRMsの危険性が有益性を凌駕する可能性があるが、この点は今後の研究で明らかにし確認する必要がある。ALI患者における一過性の酸素化改善にどれほどの利点があるかはよく分かっていないし、また、臨床的転帰に及ぼす影響についても情報が乏しい現状を鑑みると、現時点ではRMsをルーチーンに実施することを推奨することも否定することもできない。RMs実施の可否は、万策尽くしても改善が得られないような危機的低酸素血症に陥ったALI患者に限り、患者の特性を十分に考慮し判断すべきである。

教訓 同じALIでも、リクルートメントによる効果が得られる患者もいれば、そうでない患者もいます。各患者の特性を判断して適応を判断しなければなりません。

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肺傷害の拡大を防ぐには;Propagation Prevention~解剖と病態 [critical care]

Propagation prevention: A complementary mechanism for "lung protective" ventilation in acute respiratory distress syndrome .

Critical Care Medicine 2008年12月号より

肺全体に広がった傷害は急性呼吸窮迫症候群(ARDS)の特徴である。誤吸入や誤嚥による直接的な傷害や、白血球、炎症性メディエイター、免疫複合体または感染性病原体による間接的な傷害の結果、肺全体に同時に傷害が発生すると考えられている。ほとんどとは言わないまでも多くの場合は、肺傷害が、肺全体に一気に発生すると言ってよい。しかし、時にははじめに傷害が部分的に発生し、気道を経路として遠位から近位へと傷害が広がる場合もある。感染が成立していなくても、傷害した肺胞には炎症性メディエイターが集積しタンパク質を含む水分が貯留する。この水分は呼吸および重力によって、まだ傷害が発生していない肺胞に広がる。すると、理論的には、サーファクタント機能が低下し、炎症が発生する。以上のような肺傷害の進展拡大の機序は往々にして見過ごされている。本レビューではこの現象についての注意を喚起するとともに、気道を介した肺傷害拡大を防ぐための人工呼吸法と体位のとり方について述べる。

解剖と病態
有毒ガスの吸入や多量の誤嚥では、肺全体に直ちに傷害が広がるが、肺自体の要因によるARDSの大部分では、病変は均一に分布しているわけではない。実際、ガス交換能やコンプライアンスが正常に保たれている部分が残っている場合があることは、「新生児肺(baby lung)」説として提唱されている。この概念によれば、肺に急性傷害が発生すると、その原因が肺要因であるにせよ肺外要因であるにせよ、ガス交換不能の部分(シャント部分)と、傷害が少なくガス交換がほぼ正常に保たれている部分の両者が混在することになる。この現象は定量的画像診断で確認されている。肺傷害の拡大を防ぐことは、肺保護的人工呼吸法の重要なポイントである。

人工呼吸の方法が間違っていると肺傷害が増悪したり、治癒過程が遷延したりする。人工呼吸による肺傷害(VILI)についての研究では、肺実質や細気道に加わる周期的な応力とひずみ(stresses and strains)に主眼が置かれてきた。不均一な肺のなかには、開存部位と虚脱部位が接する部分がある。Meadの古典的研究によると、この部位に発生する応力は開存部分の張力に従い非線形比例的に増大する。過伸展の持続、急激な拡張と虚脱(shearing)および周期的な開放と虚脱の繰り返しがVILI(人工呼吸による肺傷害)発生にどの程度関与しているのかは、まだよく分かっていない。だが、よく分かっていないとはいえ、高いプラトー圧が虚脱部位付近の肺胞に加わると応力が発生し、周期的にパカパカと開放したり虚脱したりを繰り返すため、肺傷害が発生すると一般的には考えられている。圧迫によって下位肺の細気道が閉塞した状態で、サーファクタント機能の低下により肺胞の表面張力が低下すると、気道の虚脱がさらに進行する。サーファクタント機能低下の原因は、Ⅱ型肺胞上皮細胞の傷害だけではない。肺胞-毛細血管バリアが破綻すると、メディエイターを多く含むタンパク質含有浮腫液が形成される。すでに産生されたサーファクタントがこの浮腫液と接触すると、サーファクタントの機能が低下する。その結果、不安定になった肺胞は高い応力の発生源となりVILI発症につながるのである。以上を踏まえると、有害な浮腫液が、機能が良好に保たれている部位に流れ込むのを防げば、ガス交換能を維持し肺傷害を食い止めることができるはずである。

肺は分画に分かれた構造をしているため、傷害が全体に広がらないよう浮腫液を局所的に閉じ込めるには好都合である。各肺区域の開口部は螺旋状に配置されているため、どのような体位であっても他の区域へのたれ込みが重力依存性には起こりがたい区域もある。したがって、肺区域の空間配置が、浮腫液の傷害部位への閉じ込めに有利に働く場合がある。

ARDSでは肺胞への浮腫液の大量貯溜、深呼吸、強制呼気、好ましくない体位などによって起こる気道クリアランスの低下や逆向きの重力作用などのために、前述した解剖学的な防御能がうまく働かないというのが我々の考えである。安静時の機能的残気量は健常成人では2000mL以上である。一方、気管・気管支の容量は150mL程度で、直径2mm未満の気管支はそのうちわずかな部分を占めるに過ぎない。傷害肺の重量は、炎症細胞、炎症性物質によって生じたデブリ、浮腫液などの貯溜により、死亡直前には正常の3倍にもなる。気管チューブ内まで浮腫液が侵入してくることは少ないが(特にPEEPが付加されている場合)、これほどの重量増加が起こることを考えれば、肺胞に充満した浮腫液が、他の部位に広がり傷害が急速に拡大するのも無理もないことが分かる。(つづく)

教訓 肺が局所的に炎症に陥り産生された気道分泌物(浮腫液、痰)が、まだ炎症の影響を受けていない健常部位に流れ出すと、炎症が広がります。これをpropagationと言います。
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肺傷害の拡大を防ぐには;Propagation Prevention~背景① [critical care]

Propagation prevention: A complementary mechanism for "lung protective" ventilation in acute respiratory distress syndrome .

Critical Care Medicine 2008年12月号より

気管支を通じた感染と炎症の拡大
局所的な肺傷害がどのように拡大するかを解明するヒントを示す研究が、抗菌薬が登場するより前の時代に細菌性肺炎モデルを用いて行われている。およそ70年前に行われたこれらの研究では、分泌物が解剖学的にたれ込みやすい部分には感染が拡大しやすいことが示されている。自発呼吸下のイヌを対象に、単一肺葉の肺炎が、どのようにして複数の肺葉にわたる肺炎に拡大するのかを解明するため、実験が行われた。一本の気管支に粘度の異なる感染性粘液を注入し観察が行われ、感染の肺葉間の拡大には、重力と粘液の流動性が関係していることが明らかにされた。単一肺葉の肺炎から続発した複数肺葉にわたる肺炎の特徴は、浮腫液があふれるように多いことであった。また、動物実験では、多量の細菌を血管内に注入しても、それだけでは肺炎は発生しなかった。これらの研究では気管挿管や人工呼吸のパターンについては考慮されていない。というのも、時代に先行しすぎており、ARDSが議論されるようになるより30年も前の研究であったためである。

これと同時期に、「浮腫形成物質」の抽出も行われ、その成果は現在も生かされている。エンドトキシン、リポポリサッカライド、特定の炎症性メディエイターなどが、肺に炎症を起こす物質として知られている。このような物質の気道内注入実験では、肺傷害によって生じた浮腫液には、肺傷害を起こす作用があることが間接的に示されている。少なくとも概念的には、気道内の浮腫液は感染性がなくても、直接的な有害作用もしくはサーファクタント機能低下によるVILI誘発作用により、肺を傷害すると言える。

体位
中枢気道の最高流速に乗れば分泌物は可動性を得るが、末梢気道の流速は小さすぎて分泌物は動かない(強い咳などによる強制呼気努力で生ずる圧差によって肺胞に貯留した分泌物が排出されることはある)。一方、重力は気管-気管支全体に同じように作用する。咳をしない患者では、末梢に貯留した分泌物の排出には重力を利用しなければならない。重力が肺病変の形成と拡大に関与することがある(例;誤嚥)。他方、適切な体位をとることによる重力の有効利用が、体位ドレナージと胸部理学療法の実施には欠かせない。しかし、分泌物が粘稠であると、重力だけでは分泌物を排出させることができない。

分泌物の排出には重力が重要な役割を果たすのにも関わらず、現在広く行われている肺炎の集中治療においては、主な病変部位を下位に保つような体位保持を治療開始時から心がけることの重要性がほとんど顧みられていない。事実、片側肺の肺炎であっても、反対側の良いほうの肺を下位にするような体位が積極的にとられている。酸素化の改善を目的として良い方の肺を下位にするような体位をとっても、必ずしも酸素化が改善するわけではない。片側肺炎の動物実験では、患側肺を上位にするほうがよいという結果が得られている。しかし、長時間にわたり患側肺を上位にすることによって好結果を生むには、様々な条件が満たされていなければならない。つまり、分泌物の量と可動性、病変のある肺区画と健常な肺区画の位置関係、PEEP値、一回換気量、換気方式など様々な要素が影響するのである。おそらくこの複雑な状況のために、不均一な病変を持つ患者における適切な体位についての確定的な結論が得られないのであろう。

ラットの右肺に細菌を接種し、体位と換気方式が細菌の播種にどのように影響するかを検証した研究がSchortgenらによって行われた。人工呼吸を行っている場合は、接種後2時間で反対側に最近が広がり、その程度はPEEP値と体位によって異なることが分かった。細菌が接種された右肺を上位にして、PEEPが低く一回換気量が大きい人工呼吸を行っていると、自発呼吸の場合と比べ左肺への細菌の広がりが大きかった。浮腫液の局所封じ込めや、浮腫液のたれ込みは、肺炎に限った概念ではなく、あらゆる種類の局所的な肺傷害(例;肺挫傷)に当てはまるものである。また、この原則は中枢気道だけでなく末梢気道にも当てはまる。(つづく)

教訓 感染の肺葉間の拡大には、重力と粘液の流動性が関係しています。片側肺炎の動物実験では、患側肺を上位にするほうが予後が良好です。

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肺傷害の拡大を防ぐには;Propagation Prevention~背景② [critical care]

Propagation prevention: A complementary mechanism for "lung protective" ventilation in acute respiratory distress syndrome .

Critical Care Medicine 2008年12月号より

水分管理・換気方式と傷害拡大
敗血症や肺炎の初期治療では、血管内容量が不足していれば大量輸液が行われる。肺胞毛細血管圧が正常範囲内であっても、輸液量が多ければ分泌物の量および可動性が増す。毛細血管の透過性が亢進すると、血管内圧が少し上昇するだけで肺水腫に陥る。すると、一回換気量の大きい従来式の人工呼吸を行っていると、粘稠度の低い可動性に富んだ浮腫液が健常部位にたれ込み、炎症が拡大しサーファクタント機能が低下する。肺水腫が重篤であれば、人工呼吸回路を外したりPEEPを下げたりしたときに気管チューブ内にまで浮腫液があふれてくる。PEEPが付加されている状態で、一時的に肺を大気圧に開放した場合に、ガス交換能の回復に時間がかかることが報告されている。肺傷害の原因によって、肺水腫の程度は異なる。オレイン酸注入による肺傷害動物モデルでは、気道の変化が著しく、肺胞の浮腫も必発である。Hubmayrが著した、議論の俎上に載せられることの多い論文では、ARDS実験モデルで認められる気道の浮腫液と泡が、リクルート現象の機序を説明する上で中心的役割を果たしているとされている。

一回換気量が小さいと、浮腫液の近位への排出が制限される。大きい一回換気量や呼気努力によって最大呼気流速が上昇すると、浮腫液が近位へ移動しやすくなる。換気必要量が増大すると、一回換気量が大きくなり、呼気努力も大きくなりやすい。反対に、従圧換気や、容量サイクルの流速制御換気のときのように最大吸気流速が大きいと、浮腫液は遠位に移動しやすくなる。呼吸数が多いとI:E比が大きくなり呼気流速が上昇するため、気道分泌物は気道が開存している部位へ向かうように移動する。二つのコンパートメントからなるテスト肺を用いたVolpeらの実験では、二つのコンパートメントのコンプライアンスが異なると分泌物の移動が起こりやすいことが分かっている。

Prostらは、不適切な換気方式によってタンパク質を豊富に含んだ水分が急速に口側へ広がることを精緻な実験モデルで示した。この実験では放射能標識したアルブミンを仰臥位にしたラットの右肺に注入し、その広がりが調べられた。注入されたアルブミンは右肺全体に即座に広がり、低PEEPで高一回換気量の人工呼吸を開始した後まもなく反対側の左肺にも広がった。しかし、高PEEPで低一回換気量の人工呼吸にした場合には、注入側である右肺にのみアルブミンがとどまった。

多くのARDS症例では、輸液によってすでに潜在的に存在していた病変が「明るみにで」たり、血中の炎症性メディエイターが肺へ浸潤したりするのではなく、気道を通じて肺傷害の拡大が起こるのである。この機序によって、限局性の肺炎から入院後24-48時間以内にARDSへと進展する症例の説明がつく。実際、そのような患者は、急性心不全でもなければ過剰輸液が行われているのでもない。DreyfussとSaumonらが行った実験では、自発呼吸または低一回換気量の人工呼吸下のラットでは、細菌および放射能標識液の肺内拡大が少ないという結果が得られており、気道を通じた肺傷害の拡大がARDS発症における重要なポイントであることを示している。

感染に対しうまく防御能を働かせるには、気管挿管を避け自発呼吸を保つことが重要であると考えられる。Schortgenらは、低PEEP、低一回換気量で人工呼吸を行われたラットは、自発呼吸を保った場合よりも、感染拡大が甚だしいという実験結果を得ている。これより以前に行われたCharlesらの研究でも同じような結果が得られている。この研究では、気管挿管され人工呼吸を行っているウサギと自発呼吸下のウサギの気管内に細菌を注入したところ、挿管人工呼吸ウサギの方が肺炎発生率が高かった。気管挿管による気道防御能の低下や一回換気量の大小が与える影響を、以上の知見からどの程度説明できるのかは不明である。

肺保護的人工呼吸の理論とダーウィン的進化論を念頭に置くと、大葉性肺炎の発症初期に患者が肋膜炎のために身体活動度が低下し、呼吸が浅くなり、有効な咳ができなくなり、患側を下にした側臥位をとって肺炎のため傷害された肺が伸展されるのを防ぐのは、極めて理に適っている。現代のように医学が進歩していなかった時代には、かくのごとき生まれつき備わっている感染拡大防御法が、生存への一手であったのであろう。

PEEPの意義と傷害封じ込め作戦および気道分泌物除去作戦実施のタイミング
吸気終末肺胞内圧を一定に保ちPEEPを上昇させると、人工呼吸による肺傷害が抑制されることが実験レベルでは示されている。安定したリクルートメント、肺胞の周期的な開放と虚脱の防止、駆動圧(driving pressure)の低下、サーファクタント機能の保持などにPEEPの効果がどの程度寄与しているのかという点については、まだ結論が得られていない。我々が提示している、肺傷害が気道を経路として拡大するという「補完的」仮説は、以上のいずれについても当てはまる可能性がある。高いPEEPをかけると、局所的なリザーバー容量が増え、肺胞の浮腫液が間質へ移動し局所に貯溜するのが促進されるため、タンパク質を多く含んだ浮腫液の封じ込めに有利である。浮腫液を局在化させることの意義は、肺傷害の段階によって異なる。というのも分泌液の粘稠度によって可動性が異なるからである。細菌を自発呼吸下のイヌの単一肺葉に接種した実験では、他の肺葉に感染が進展した場合、「細菌を接種された肺葉よりもずっと多量の浮腫液」が認められるのが特徴的所見である。また、感染を成立させる量の肺炎球菌を粘稠な(可動性の低い)培地とともに接種しても、容易には肺炎は発症しない。

肺傷害拡大仮説によれば、「傷害部位を下位にした」体位、高いPEEPおよび適切な換気方式の選択の有用性は、時間経過とともに次第に薄れるはずであるが、高いdriving pressureが周期的に加わるのを避けるような人工呼吸法は、病期に関わらず有効であろう。気道を通じた傷害拡大が本当に問題であるならば、ARDSの病態が浮腫主体から線維化へと数日かけて変化することを踏まえると、現況ではPEEPを高く設定すべき時期や体位のとり方の重要性が軽視されていることになる。肺炎では、発症初期の2-3日間は白血球などを含んだ浸出液で気道があふれかえる。この分泌物によって細菌が繁殖しにくい環境が形成される。この時期は、分泌物の流動性が富んでいるため限局させることが課題である。その後は、分泌物が粘稠になるため、気道の閉塞を解除し炎症性デブリの排出を促すことを心がけなければならない。このような状況では、PEEPを低くし、分泌物の排出を促すような治療手技(体位、深呼吸、咳)を実施するべきである。

気道分泌物が末梢に留まったり、分泌物の間質への移行が促進されたりして、気道において気体が占める空間が確保されると、同時に気道を介した炎症の拡大も阻止される。我々は、PEEPには炎症拡大を阻止する作用があると考えている。しかし、肺胞の開存を企図して行われるPEEP以外の手法は、可動性分泌物の拡散を防ぐと言うよりむしろ助長している可能性がある。つまり不適切なPEEP下でサイ(sigh)が加わったり、麻酔用のバッグで用手的に勢いよく肺をふくらませたりすると、呼気時に分泌液が近位に流れ出してしまい、つぎの吸気時に炎症が及んでいない部位の末梢に押しやられてしまうかもしれないのである。さらに、炎症が局所にとどまっていて、かつ、分泌物の粘稠性が低い場合、特に人工呼吸管理開始後間もない段階では、PEEPを解放すると分泌物の可動化が促進されることを踏まえると、臨床でよく行われている手技について再考を要する。たとえば、人工呼吸回路を開放したり、肺を再拡張させようとして用手的にバッグで肺を大きくふくらませたり(例;気管内吸引後)、といったことである(高コンプライアンスの健常部位には、吹気とともに気道分泌物が流れ込みやすいため)。もしも傷害が瀰漫性に広がってしまっている場合は、傷害拡大を懸念する必要はないため、上述のような手技を控える必要はない。気道分泌物が粘稠になり、その排出とリクルートメントが必要であると考えられるような状況に変われば、「PEEP解除/バッグ揉み」手技が有効であろう。(つづく)

教訓 一回換気量が小さいと、気道分泌物の封じ込め効果が得られます。大きい一回換気量や呼気努力によって最大呼気流速が上昇すると、気道分泌物が流れだしやすくなります。高いPEEPをかけると、肺胞の浮腫液が間質へ移動しやすくなるので、封じ込めに有利です。肺傷害発生初期ほど、PEEPと低一回換気量による高い効果が得られます。

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肺傷害の拡大を防ぐには;Propagation Prevention~臨床研究 [critical care]

Propagation prevention: A complementary mechanism for "lung protective" ventilation in acute respiratory distress syndrome .

Critical Care Medicine 2008年12月号より

臨床研究の解釈
ARDS/ALI治療の枢要をなす、換気方式、体位、輸液管理などについては、いくつもの臨床研究が行われてきた。このような研究で得られた結果と、ここに示した肺傷害拡大(propagation)理論との整合性について検討してみる。報告されているデータを解釈するにあたっては、肺内分泌物の粘稠度の大小によって、肺傷害拡大の可能性が左右されることを念頭に置かなければならない。炎症の結果生ずる気道内分泌物の粘稠度は、病期によって大きく変化する。また、分泌物の量や粘稠度によっては、治療手技(腹臥位、リクルートメントなど)も肺傷害拡大に大きな影響を及ぼす。傷害が肺全体に広がりARDSの診断基準を満たすような段階にあれば、肺傷害拡大の予防策を講じても大した効果は期待できないであろう。肺傷害拡大理論と様々な臨床研究を結びつけて考える際には、この点がおそらくもっとも重要である。一方で、最重症の症例であっても、リクルートメントや制限輸液の実施、高一回換気量の回避が有効であるという信頼性の高い結果が得られている。肺胞内圧(プラトー圧)が一般的には安全と考えられている範囲内(<30cmH2O)であったとしても、一回換気量が大きいと死亡率が上昇することが明らかにされている。ここに肺傷害拡大という概念を取り入れれば、この理路を理解する一助となりうる。

腹臥位
動物実験では、腹臥位にしてから、肺によくない換気方式で人工呼吸をはじめると、肺傷害が緩和されるという結果が得られている。しかし、ARDS確診例に対する腹臥位および高PEEPの有効性を検証した臨床研究では、高一回換気量の回避で示されたような決定的な効果は認められなかった。腹臥位には、背側肺のリクルートメント(肺胞再拡張)と重力による分泌物ドレナージという、相反する可能性のある二つの基本的作用がある。この二つの作用が総合され、肺傷害拡大や転帰に影響を及ぼす。それぞれの作用の程度や、気道分泌物の量や粘稠度によって、両作用が総合されたことによる影響の内容は異なると考えられる。したがって、肺傷害拡大の予防を目的とするならば、早期から腹臥位にするのは望ましくなかろう。なぜなら、背側肺が再拡張する一方で、重力の作用方向のおかげで肺傷害を免れていた腹側肺に傷害が拡大するおそれがあるからである。ARDS確診例に対する腹臥位の有効性を検証した臨床研究が三編報告されている。いずれも腹臥位によっては死亡率は低下しなかった。腹臥位による有益性が示されなかった原因として、腹臥位にする時間の長さ、腹臥位にするタイミング(気管挿管後1日以上経ってから腹臥位が行われている)などが指摘されている。腹臥位関連のもっとも大規模な臨床試験では、高いリクルートメント効果が長時間持続した(=傷害拡大防止につながる効果が得られた)サブグループにおいてのみ、腹臥位の有効性が認められた。肺傷害が比較的軽症にとどまっている初期には、腹臥位によって傷害が拡大し、病期が進んでからであれば腹臥位によって傷害拡大が防がれるという見方もあり得る。実際、腹臥位による治療効果を得るには、実施する時期が大きなポイントであることは銘記すべきである。気道分泌物が粘稠になってしまえば、重力の働く方向によって肺傷害が拡大する可能性は低くなる。流動性に富んだ分泌物が見られる病初期が、どれぐらいの時間つづくのかはまだ分かっていない。だが、48-72時間を超えることは滅多にないと考えられている。この時期を過ぎれば、気道内分泌物はフィブリンと炎症性デブリを成分とする粘稠な痰に変容し、肺胞へ流れて広がるのではなく、気道を閉塞させるようになる。理屈の上では、この段階に至れば治療の方向性は、肺傷害拡大の予防から痰の排出へと転換する。

リクルートメント手技
ARDSネットワークが実施した臨床研究では、リクルートメント手技には、死亡率低下や、呼吸機能改善効果の持続といった有効性は認められなかった。この研究では、中等度の圧でリクルートメントが行われ、リクルートメント手技実施後にPEEP値は調整されなかった。リクルートメントによる有効性が認められず、呼吸機能に対する効果も持続しないことから、肺傷害拡大防止(または痰の排出)にもリクルートメントは無効であると考えられる。

高PEEP(open lung)人工呼吸
ARDSネットワークが行ったALVEOLI試験では、仰臥位での高PEEPによる死亡率低下効果は認められなかった。しかし、この試験では高PEEP群と低PEEPではなく中等度PEEP群とが比較され、しかも両群とも低一回換気量で人工呼吸が行われた。中等度以上のPEEPと低一回換気量は、どちらも肺傷害拡大を防御する効果がある。両群とも、プラトー圧は低く保たれ、VILIが発生する危険性は小さかった。最近発表されたフランス発の研究(EXPRESS)では、低一回換気量の人工呼吸下において低PEEPと高PEEPが比較されている。高PEEP群の方が28日後死亡率が低い傾向が認められたが、有意差はなかった(低PEEP 31.2% vs 高PEEP 27.8%)。しかし、高PEEP群では、酸素化が良好であっただけでなく、人工呼吸器非装着日数(ventilator-free days)および正常臓器機能日数(organ failure-free days)が有意に長かった。また、リクルートメント手技を最大限行うことにより、コンプライアンスが向上し酸素化も改善した。この研究が発表されたのとほぼ同時に、同じような結果を示した論文がカナダから発表された。これは、LOVS試験という無作為化臨床研究で、「lung open」(高PEEP)人工呼吸により、死亡率の低下は認められないものの、副次エンドポイントについては転帰の改善が認められるという結果が得られている。以上より以前に実施された複数の小規模研究では、病初期から高PEEPで人工呼吸を行い、あわせてリクルートメントもしっかり行うことによって、高一回換気量での人工呼吸を行った対照群と比べ、転帰が改善することが示されている。この中で、スペインで行われた多施設研究(ARIES)は、第一日のプラトー圧が両群でほぼ同等であったことから特に注目すべき一編である。

以上に挙げた研究は、すでに肺全体に病変が広がった患者を対象として行われたものである。だから、肺傷害拡大の予防法を論ずる上でそのまま敷衍できるものではない。しかし、いろいろなデータを考え合わせ、病期の重要性や他の治療法の影響を勘案すると、前掲の研究結果は、気道分泌物の散逸によって肺傷害が重症化することを裏付けていると思われる。(つづく)

教訓 肺傷害拡大を予防するには、早期から腹臥位にするのは望ましくありません。肺傷害拡大防止(または痰の排出)にリクルートメントは無効です。中等度以上のPEEPと低一回換気量には、どちらも肺傷害拡大を防ぐ効果があります。
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肺傷害の拡大を防ぐには;Propagation Prevention~結論 [critical care]

Propagation prevention: A complementary mechanism for "lung protective" ventilation in acute respiratory distress syndrome .

Critical Care Medicine 2008年12月号より

臨床への応用
気道を経路として分泌物がたれ込むことが肺傷害拡大の主因であるとすれば、肺保護的人工呼吸法のどの要素が、傷害拡大防止の要諦なのであろうか。肺に炎症が起こった直後から48時間ほどの初期(浮腫期)には、高PEEP、低一回換気量、分時換気量の最小化(高一回換気量の回避と呼気努力の最小化)、制限輸液による浮腫防止、病変が強い部位を下側にする体位、などが重要である。ALI/ARDSの病初期には、気道分泌物の流動性が高いため、経気道拡大の防止策を講ずる必要がある。その後は、分泌物のゲル化が進み気道分泌物が粘稠になるため、傷害拡大を防ぐのではなく、痰を排出させ気道閉塞を防ぐことを主眼に適切な体位を選択しなければならない。病期が進むと気道分泌物の流動性が低下する。したがって、気道内が分泌物であふれかえるのをPEEPで防ぐ必要性は、病期進行とともに徐々に失われる。体位ドレナージが必要かつ有用な場合があるのは確かである。しかし、発症初期に褥瘡防止のために左右側臥位を交代でとっていると、ゲル化する前の流動性に富んだ有害な気道分泌物を、まだ傷害が及んでいない部分へ広く拡大させてしまうおそれがある。体内では、痰に含まれる細菌は、いずれ免疫能や抗菌薬によって死滅する。粘稠になった痰を排出させるのが治療上重要になるのは、発症後数日経過してからである。

結論
肺傷害拡大防止策は、「低一回換気量/open lung」人工呼吸法による肺保護と矛盾するものではない。むしろ、傷害拡大の防止という考え方を取り入れることによって、open lung法の理論を発展させ、強調すべき重点を修正し、今後の動物実験および臨床研究の方向性を拓くことができる。人工呼吸器設定や体位の工夫によって、肺傷害が局所から全体へ広がるのを防ぐ(または促進する)可能性について検証するのは、よい研究テーマとなるであろう。

我々は、ARDSやVILIの発生原因を、肺傷害の経気道拡大だけに求めているわけではないし、必ずしもすべての症例で傷害拡大が重大要素であると言っているわけでもない。だが、傷害が限局している時期には、気道を経路とした傷害拡大を考慮に入れるべきであろう。気道分泌物の流動性が低下するまでの間、患側下位の体位をとれば、傷害拡大を防ぐことができる。また、ALIや大葉性肺炎の発症初期には、リクルーメント手技を行い、比較的高いPEEPをかけて、局所のリザーバー量を増やし、間質およびPEEPで開存された部位に水分を保持するべきである。プラトー圧を高くしたり、呼気努力が大きくなったりするのを回避することも発症初期に心がけるべき点である。これによって、ひずみが小さくなるとともに肺胞と気道出口の圧格差が低下し、気道分泌物が呼気に乗って気管分岐部の方向へ広がるのが抑制されるからである。不適切な人工呼吸管理を行うと瞬く間に肺傷害が広がることが明らかにされている。したがって、人工呼吸をはじめたその瞬間から高一回換気量を避け、気道を大気圧に解放しないように十分注意しなければならない。以上の「保護的」人工呼吸法の構成要素に加え、分時換気必要量の低減(これによって呼気努力が減り、高一回換気量を避けることができる)、大容量で肺を膨張させること(例;バッグを一生懸命パコパコもむ)の回避、制限輸液法の実施、病変部位を意識した体位のとり方が肺傷害のある患者の管理では重要である。筆を擱くにあたり、本論文で示した考え方は臨床上の指導や推奨ではないということを再度強調したい。精緻な研究によって、我々(この論文の著者Marini&Gattinoni)の臨床知が立証されるか、または反駁される日が来るのを待つのみである。

教訓 比較的高いPEEP+低一回換気量、制限輸液法の実施、病変部位を意識した体位のとり方、気道を大気圧に解放しないようにすることが肺傷害初期の管理では重要です。痰がズルズルだからといって、しつこく吸引して、その後力一杯バッグを揉むのは最悪です。
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エベレストで血ガスやってきました~方法 [critical care]

Arterial Blood Gases and Oxygen Content in Climbers on Mount Everest

NEJM 2009年1月8日号より

大気中の酸素分圧は高度が上がるにつれ低下する。それに呼応し、好気呼吸に利用できる大気中酸素量が減少するため、運動耐容量(例;歩行や登攀)が減る。エベレスト(8848m)は世界最高峰である。山頂の吸入気酸素分圧(PIO2)は非常に低く、高度順応訓練を行った人間が、歩行や認知の機能をようやく維持できる限界値とほぼ一致すると考えられている。ヒラリーとテンジンは、1953年に酸素吸入下でのエベレスト初登頂に成功した。その25年後にメスナーとハベラーが初の無酸素エベレスト登頂を成し遂げた。現在、無酸素エベレスト登頂者は全体の4%未満である。

エベレスト山頂程度の低気圧下における動脈血酸素分圧(PaO2)についての報告は、Operation Everest ⅡとOperation Everest Ⅲ(Comex ’97)の2編のみが報告されている。この二つの研究では、エベレスト登頂を模した低圧室に被験者を滞在させた。エベレスト山頂と同等の気圧下(253.0mmHg)における、平均(±SD)安静時PaO2はそれぞれ30.3±2.1mmHg、30.6±1.4mmHgであった。被験者は37日から40日かけて徐々にエベレスト山頂を模した高度に順応したので、こんな激しい低酸素血症にも耐えることができた。1981年には、エベレスト登頂者1人を対象に、山頂で酸素吸入を10分間中止した後に呼気終末のPaO2とPaCO2が測定された。古典的なボーア積分を当てはめるとこの登頂者の予測PaO2は28mmHgであった。

今回我々は無酸素エベレスト登頂者を対象に、動脈血酸素分圧と動脈血酸素含有量を現場で直接測定した。

方法

被験者
本研究の被験者は、健康な10名の登山家である(男性9名、女性1名、年齢22歳から48歳)。全員が医学研究遠征隊(Caudwell Xtreme Everest)のメンバーであり、エベレスト東南陵から山頂を目指した。

過去の遠征隊参加時に標高6800m以上までの登攀に何らかの支障を来した被験者は皆無で、高度順応も順調で、順応中に高山病やその他の異常を呈した例はなかった。標高7950m以上を目指したことのある被験者の全員が、問題なく目標地点への登攀に成功していた。

血液検体の採取
動脈血検体はロンドン(標高75m)、エベレストベースキャンプ(標高5300m)、第2キャンプ (標高6400m)、第3キャンプ (標高7100m)および山頂からの下山途中にあるバルコニー(the Balcony)と呼ばれる地点(標高8400m)で採取した。ロンドンおよびベースキャンプでは、他の研究のために留置された橈骨動脈カテーテルから安静時に採血した。この二地点で採取した検体については、直ちに動脈血ガス分析が行われた。ベースキャンプより高い地点では右大腿動脈から採血した。示指で拍動を触れ、ヘパリン化シリンジ(Fisher Scientific)を用い21ゲージ針を動脈内に刺入し、拍動性にシリンジ内が血液で満たされるのを確認した。採血後ただちにシリンジを密封しビニル袋に入れ、氷水スラリー(シャーベット状の氷水)を詰めた真空断熱魔法瓶の中に保管した。この魔法瓶は速やかにウエスタン・クウムの第2キャンプに所在する検査室へ運び、運搬時間を記録した。デジタル気圧計(GPB2300, Greisinger Electronic)で採血地点の気圧を測定した。動脈血検体の採取を担当したのは2名の研究者で、両名とも大腿動脈穿刺と採血には熟達している。

酸素吸入
第3キャンプ(標高7100m)以上では、酸素吸入を行った。登攀中は2-3L/min、睡眠中は0.5L/minで酸素を投与した。第3キャンプおよび第4キャンプ (標高7950m)では、安静時には酸素吸入が不要であることが多かった。第3キャンプでの採血にあたっては、少なくとも4時間は酸素吸入を中止した。バルコニーでの採血では、酸素吸入を20分間中止してから採血した。

血液検体の分析
動脈血ガス分析にはRapidLab 348 (Siemens Medical Solutions Diagnostics)を用いた。この器械にはco-oximeter(多波長分光光度法によってヘモグロビン誘導体含量を測定する装置)は搭載されていない。PaO2、PaCO2およびpHを測定した。重炭酸濃度、BE、酸素飽和度は広く用いられている公式を用いて算出した。血中乳酸値は、別の器械を用いて測定した(Lactate Scout, EKF Diagnostic)。検査室の気圧は、採血地点で用いたのと同じ測定器で測定した。

血液ガス分析器は、高地でも作動するように改造された。固定抵抗器を装着することによって、内蔵されている気圧計が作動しないようにした。これによって、標高に関係なく常に気圧が450mmHgであるという条件で分析器が作動した。このような改造がなぜ必要かと言うと、血液ガス分析器に内蔵されている、気圧400mmHg未満でのガス分析が行われないようにする仕組みを無効にするためである。血液ガス分析器は改造していない状態では気圧補正をして測定を行う。これと同様の補正を行い真の酸素分圧を得るため、改造分析器測定値を式1(下記)に代入して算出した。

PaO2=[(分析器設置地点の気圧-飽和蒸気圧)/(450mmHg-飽和蒸気圧)]×PO2測定値

被験者の体温は37.0℃とした。使用した血ガス分析器は、標高4000m相当の低圧室で正常に作動することを確認した。次に、実際に標高5300mおよび6400m地点(本研究で血液ガス分析を行う地点)へ運び、再度正常に作動することを確認した。各動脈血検体につきガス分析を3回繰り返し、その平均値を本論文に掲載した。今回使用したパルスオキシメータは酸素飽和度70%未満では較正不能であったため、公式に測定値(動脈血酸素飽和度、pH、BE)を代入し酸素飽和度を算出することにした。掲載した酸素飽和度は一部を除きすべて計算値である。被験者のうち4名については標高5300mの酸素飽和度は血ガス分析器故障(pH電極不良)のため算出することができなかったので、パルスオキシメータ(Onyx9500, Nonin)を用いて測定した値を記す。

ロンドン(出発前)、エベレストベースキャンプ、第2キャンプにおいて静脈血検体を採取し携帯型光学測定器を用いてヘモグロビン濃度を測定した(HemoCue Whole Blood Hemoglobin System, HemoCue)。ロンドン、ベースキャンプおよび第2キャンプでは動脈血と同時に静脈血を採取した。第3キャンプおよびバルコニーのヘモグロビン濃度は、バルコニー到着の9日前と8日後にベースキャンプで得られたヘモグロビン濃度の平均値とした。以上のヘモグロビン値は、動脈血酸素含有量、重炭酸濃度およびBEの算出に用いた。

肺胞方程式から採血時の肺胞酸素分圧(PAO2)を求めた。この計算に必要な安静時呼吸商は、登頂アタック日の出発前にサウスコル(最終キャンプ;標高7950m)で測定した(被験者3名)。この測定にはbreath-by-breath法を応用した呼気ガス代謝モニタを使用した(MetaMax, Cortex Biophysik)。

教訓 エベレスト山頂の酸素分圧は平地の三分の一以下です。登頂するだけでも大変そうですが、そんなところで鼠径部を露出して動脈血を採血するのはずいぶん難しそうです。

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エベレストで血ガスやってきました~結果 [critical care]

Arterial Blood Gases and Oxygen Content in Climbers on Mount Everest

NEJM 2009年1月8日号より

結果

検体の収集
隊員は2007年5月23日朝にエベレスト山頂に到達した。標高2500m以上の高地に60日間滞在した後に登頂に成功した。各採血地点の場所、標高、気圧およびPIO2をFigure1に示す。大腿動脈からの動脈血採血はすべて初回穿刺で成功し、合併症も皆無であった。採取できた検体数は、ロンドンが10、ベースキャンプおよび第2キャンプが9、第3キャンプが6、8400m地点が4であった。検体が採取できなかった理由は以下の通りである:ベースキャンプで一名が体調不良、第2キャンプで一名が体調不良、第3キャンプでは検体運搬担当シェルパ出発時までに4名が同地点まで到達できなかった、バルコニーでは2名がこの地点に到達できず、検体運搬担当シェルパ出発時までに4名が同地点まで到達できなかった。第2キャンプで採取した検体のうち一つは、血ガス分析器のなかで繰り返し凝血してしまったため分析データを得られなかった。血液検体を採取してから血ガス分析器にかけるまでの時間は、全例で2時間未満であった。

動脈血ガス分析
PaO2およびヘモグロビンの測定値とSaO2およびCaO2計算値をFigure2に示す。CaO2は海抜ゼロメートル地点(ロンドン)から標高7100m地点までほぼ同じ値に維持され、標高8400m地点でのみ低下した。標高8400m地点におけるCaO2の平均値(4名)は145.8mL/Lであった。標高が上がるにつれ平均PaCO2は低下した。平均PaCO2は、海抜ゼロメートル地点では36.6mmHg、標高5300mでは20.4mmHg、標高6400mでは18.2mmHg、標高7100mでは16.7mmHgであった。pHはそれぞれ、7.40、7.46、7.51、7.53であった。

標高8400mにおける被験者4名の動脈血ガス分析結果、ヘモグロビン値、乳酸値をTable2に示す。平均PaO2および平均PaCO2はそれぞれ、24.6mmHg、13.3mmHgであった。標高8400m地点における採血時の平均PIO2計算値は47.0mmHgであった。4名の被験者から得られた標高8400m地点におけるPAO2、安静時呼吸商および肺胞気-動脈血酸素分圧較差をTable2に示す。平均PAO2および平均肺胞気-動脈血酸素分圧較差はそれぞれ、30.0mmHg、5.4mmHgであった。全研究期間中に、いずれの被験者においても高地肺水腫は認められなかった。

ロンドン     PB 754mmHg  PIO2 148.0mmHg
カトマンズ(標高1336m)     PB 650mmHg  PIO2 126.2mmHg
ベースキャンプ(標高5900m)  PB 403.5mmHg  PIO2 74.7mmHg
第2キャンプ (標高6400m)    PB 350mmHg  PIO2 63.4mmHg
第3キャンプ (標高7100m)    PB 317mmHg  PIO2 56.5mmHg
第4キャンプ(サウスコル、標高7950m) PB 292mmHg  PIO2 51.3mmHg
バルコニー(標高8400m)   PB 272mmHg  PIO2 47.1mmHg
エベレスト山頂(標高8848m)  PB 253mmHg  PIO2 43.1mmHg

バルコニーでの平均値(n=4)
pH 7.53, PaO2 24.6, PaCO2 13.3, Bicarb 10.8, BE -6.9, Lactate 2.2, SaO2 54.0, Hgb 19.3, RQ 0.74, PAO2 30.0, A-aDO2 5.41

教訓 バルコニーでは著しい低二酸化炭素血症、低酸素血症、多血症が見られました。あまりからだにはよくなさそうです。無酸素でエベレストやK2に登頂したことのあるプロの高山登山家9名の頭部MRI所見では、一次運動野および補足運動野の近位にある左錐体路の白質の密度・質量がともに減少していたそうです(European Journal of Neurology 2008; 15: 1050-1057)。頷けます。
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