SSブログ

硫化水素で人工冬眠~考察 [anesthesiology]

Inhaled Hydrogen Sulfide: A Rapidly Reversible Inhibitor of Cardiac and Metabolic Function in the Mouse

Anesthesiology 2008年4月号より

考察
本研究の最大の目的は、マウスの代謝を低下させる程度の濃度の硫化水素曝露による心血管系への影響を検証することである。それに加えて、低体温自体が血行動態および代謝に影響を及ぼすことから、硫化水素吸引による心血管系および代謝の変化に体温低下がどれぐらい関与しているかを調べた。心拍数および心拍出量は硫化水素曝露によって大幅に低下したが、平均動脈圧および一回拍出量は変化しなかった。このような変化が起こったのは、硫化水素吸引によって体温低下と関わりなく洞性徐脈になるからである。また、核温が一定に維持されていても、硫化水素吸引によって可逆的な代謝低下作用がもたらされることが明らかになった。以上の知見から、硫化水素吸引による心血管系機能および代謝機能低下作用は、核温の変化と関係なく発揮されるということが分かった。

硫化水素吸引による心血管系機能の変化のうちもっとも劇的なものは、正常体温であっても低体温であっても招来される著しい徐脈である。硫化水素による徐脈作用が体温と関係なくあらわれることは、環境温27℃で硫化水素に曝露されたマウスにおいて、核温の低下に先立ち心拍数が低下するという観測結果からも明らかである。硫化水素によって徐脈になると、心拍出量も減る(心エコーで計測)。これは硫化水素を吸引しても一回拍出量は変化しないからである。他方、二酸化炭素産生量は徐脈に先行して減少する(fig. 8)。このことから、硫化水素による心拍数および心拍出量減少効果は、代謝低下作用の結果生ずるのではないかと考えられる。

硫化水素は、一回拍出量は変化させないが、著しい徐脈と不規則な調律をもたらす。これをもって、硫化水素が心筋収縮力は低下させず、洞機能だけを抑制するという推測を巡らせたくなる。この仮説を検証するため、遠隔監視装置による心電図記録を用いて硫化水素による不規則で遅い心拍について詳しく調べた。その結果、著しい洞性徐脈とともに時折洞停止も見られることが分かった。硫化水素がどのような機序で洞機能を低下させるのかは分からないが、硫化水素によるpHや血液ガス分圧や血中電解質濃度の変化が関わっていないことだけは確かである(table 1)。心筋収縮力と刺激伝導系に対する硫化水素の作用をもっと深く知るには、さらに研究を重ねる必要がある。

環境温27℃で硫化水素に曝露されたマウスの心拍数と心拍出量は大幅に低下したが、平均動脈圧は変化しなかった。おそらく、代償作用として全身性の血管収縮が起こったためであろう。硫化水素によって低体温に陥った結果、血管収縮が起こったとは考えがたい。なぜかと言うと、核温一定で硫化水素を吸引したときには平均動脈圧はやや上昇するからである。硫化水素が強力な血管拡張作用を持っていることはすでに明らかにされている。硫化水素は、ATP感受性カリウムチャンネルの活性化を通じて平滑筋細胞を弛緩させることによって、血管拡張作用を発揮すると考えられている。だが、Dombkowkiらは硫化水素が血管拡張作用と血管収縮作用の両方を持っていることを示した。Aliらの最近の報告では,
硫化水素ナトリウム(NaHS)が血管トーンに及ぼす異なる二つの作用が明らかにされている。この報告では、低濃度の硫化水素曝露では、内皮型一酸化窒素が硫化水素の作用により除去され血管収縮作用が発揮されるが、高濃度の硫化水素曝露では、ATP感受性カリウムチャンネルの活性化により血管拡張作用がもたらされるとされている。本研究ではマウスを80ppmの硫化水素に曝露したが、この程度の濃度では末梢血管平滑筋細胞における硫化水素濃度は低いと推測されるため、血管収縮作用が発揮されたのではないかと考えられる。しかし一方で、硫化水素による代謝低下(つまり酸素消費量の低下)の結果心拍出量が減少し、それに呼応して心血管系の反射(おそらく大動脈の圧受容体が関与した反射)が発生し全身血管収縮(および徐脈)が起こった可能性も払拭しきれない。

環境温27℃で80ppm硫化水素を6時間吸引したマウスの核温は8℃以上低下した。核温と活動度の低下の程度は、StruveらおよびBlackstoneらが報告した結果と同等である。硫化水素(硫化ナトリウムから産生される)はシトクロムc酸化酵素を阻害することが知られている。熱産生組織(例えば褐色脂肪)のシトクロムc酸化酵素阻害によって、ミトコンドリアによる熱産生が低下し、体温を維持するのに必要な熱を産生できなくなるのかもしれない。今回の研究では、環境温27℃での硫化水素曝露によって、核温低下に先立ち二酸化炭素産生量と酸素消費量が低下することが明らかになった。このことから、硫化水素の作用は、代謝の抑制が主体であり、体温低下は続発的なものであると考えられる。この仮説は、環境温35℃で硫化水素に曝露されると、核温は変わらなかったが、二酸化炭素産生量と酸素消費量は著しく低下したことからも裏付けられる。

いずれの環境温(27℃または35℃)でも、80ppm硫化水素を吸引したマウスの呼吸数は減少した。ただし、環境温が低いほど下げ幅は大きかった。硫化水素は脳幹に選択的に作用し呼吸抑制作用を示す可能性があることが指摘されている。硫化水素の脳幹機能に対する抑制作用は、脳内のシトクロムc酸化酵素とミトコンドリアのATP産生に対する阻害作用に関連していると考えられる。生存条件の悪化に対して多くの生き物は呼吸数を減少させて対処するという興味深い事実がある。その機序の解明はまだ十分には進んでいないが、代謝の低下や脳幹における呼吸リズム形成機能の変化が関与していることが多い。一方、最高400ppmの硫化水素に3時間曝露されても、ラット後脳の硫化物濃度およびシトクロムc酸化酵素活性は変化しないという報告もある。ただし、肺および鼻の硫化物濃度は増加し、シトクロムc酸化酵素活性は低下した。以上の結果から、硫化水素吸引による呼吸抑制作用は、部分的には、肺および上気道の科学受容体に対する硫化水素の作用を介して発揮されると推測される。他方では、硫化水素による呼吸数低下は、二酸化炭素産生量低下によって、分時換気必要量が減少したことを反映している部分もあるだろう。本研究で得られた呼吸数低下に先立って二酸化炭素産生量が減少するという知見が、その裏付けである。

80ppm硫化水素に曝露されたマウスでは、自発的な運動が少なくなった。これはStruveらが80-400ppmの硫化水素にラットを曝露した実験で得られた結果と同じである。我々の研究からは、運動量減少の主因を低体温に求めることはできない。硫化水素を吸引させても核温一定であったときも、自発的な運動が著しく減少したからである。さらに付け加えると、環境温27℃で硫化水素に曝露されたマウスの運動量は、核温が低下するより以前から低下しはじめた。以上の結果から、硫化水素による自発運動量減少を体温低下のみに求めるのは間違っていると言えよう。硫化水素にはマウスを休眠状態にする作用はあるが、今回の実験で用いた濃度(60-160ppm)では麻酔作用はもたらされなかった。より高い濃度であれば麻酔作用が発揮されるのかもしれないが、高濃度の硫化水素に曝露すると強い呼吸抑制作用があらわれて実験を続行することができなかったため詳細は不明である。

硫化水素吸引によって体内に吸収される硫化水素の量を調べるため、血漿硫化物濃度を測定した。基準時点におけるマウス血漿中の硫化物濃度は、すでに報告されているマウス、ラット、ヒトにおける測定値と同等であった。200ppm硫化水素を30分間吸引すると血漿硫化物濃度が上昇したので、吸引した硫化水素は体内に吸収されることが分かった。80ppm硫化水素に曝露されたときは、血漿硫化物濃度は上昇しなかった。体内に吸収された硫化水素は、硫化銀電極では測定できない硫黄含有分子に変化するからであろう。硫化水素の主要な代謝経路は、肝臓における迅速な多段階酸化反応(硫化物から硫酸塩へ)と硫酸塩の尿中への排泄である。他の代謝経路としては、メチル化、シトクロムc・金属タンパク・ジスルフィド含有タンパクとの反応がある。シトクロムcや金属タンパク、ジスルフィド含有タンパクと反応する硫化水素は、血漿中の硫化水素よりも代謝に大きな影響を与えると考えられる。80ppm硫化水素曝露30分間で、血漿中硫化物濃度の上昇を検知できなかったのは実験手法に問題があったからなのかもしれない。つまり、検体採取や処理の過程で血中の硫化水素が減少した可能性が考えられる。

まとめ
マウスに硫化水素を吸引させると、心拍数および心拍出量が迅速かつ可逆的に低下する。このとき一回拍出量および平均動脈圧は変化を示さない。この作用は、硫化水素が核温を低下させる効果とは関係なく発揮される。硫化水素に曝露されると、マウスの代謝は大幅に低下する。この作用は可逆的であり、心拍数および心拍出量と同様に体温低下と関係なく現出する。硫化水素吸引による速やかな代謝低下作用を利用して、細胞または臓器機能を保護することができる可能性がある。例えば、重症外傷や心停止後などで酸素供給が低下したような場合である。硫化水素吸引の安全性や、マウスよりも大きな動物でも硫化水素曝露によって同じような効果が発揮されるのかどうかを検証するには、さらに研究を重ねる必要がある。

教訓 硫化水素の作用:
    ① 心拍数および心拍出量が低下する。
    ② 一回拍出量および平均動脈圧は変化しない。
    ③ 代謝が大幅に低下する。
    ④ ①から③の作用は可逆的である。
    ⑤ ①から③の作用は体温低下と関係なく発揮される。
コメント(2) 

コメント 2

ぶりぶり

硫化水素といえば会津若松の磐梯山に登ったときに、のどをやられるほどの硫化水素に閉口したことを思い出します。
バスに乗り遅れまいと、走ってまわったのが祟ったのです。なにやらカリーナあたりに火傷でも負ったのでないかと感じるほどのヒリヒリ感があり咳が止まりませんでした。もちろん走りまくったので徐脈化はなかった印象でした。
ただ、ひどく疲れましたから、心拍出量が低下していたかもしれません。
硫化水素は斯様に刺激が強いですから、敢えて吸おうとは思いませんな。
低体温療法に代替しようとしても、やはりその刺激性が問題になるでしょう。
by ぶりぶり (2009-03-30 19:53) 

vril

おもしろい実体験ですね。硫化水素は10ppmぐらいで粘膜刺激症状が出てくるみたいですね。20~30ppmで咳がでるそうです。確かに、こんなに刺激が強くては、安全に投与するのは難しそうです。

磐梯山は地獄の釜のようなところのようですね。私は乗鞍温泉の湯けむり館へ行ったときに、肺のすみずみまで硫化水素含有空気を満たし、非常に気分が良くなった覚えがあります。粘膜刺激症状はありませんでした。
by vril (2009-03-30 21:25) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。