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意識と麻酔② [anesthesiology]

Consciousness and Anesthesia

Science. 2008 Nov 7; 322(5903): 876-880

麻酔中の患者:意識がないのか?反応しないだけなのか?

軽い鎮静をもたらす程度の量の麻酔薬を投与すると、患者は酔っぱらったときと同じような状態に陥る。すなわち、鎮痛、健忘、時間感覚の変容、離人感・非現実感および強い眠けが生ずる。投与量がもう少し増えると、患者は命令に従って動くことができなくなり、意識が消失したと判断される。このような行動上の変化に基づく意識消失の定義は、麻酔とともに160年以上前に登場した。この定義は便利ではあるが、欠陥がある。例えば、無反応状態は、意識が消失しなくても生ずる。我々が夢を見ているとき、生き生きとした体験を知覚するが、脳幹による抑制のため筋肉が弛緩するので、反応を示すことはない。同様に、麻酔中には筋弛緩薬を投与して望ましくない体動を防ぐが、筋弛緩薬によって意識を消失させることはできない。

ある種の麻酔薬は、脳において行動の遂行決定を担う部分に作用し、反応しようという意思が生ずるのを妨げるようである。脳全体を抑制する麻酔薬にはこれは当てはまらないが、ケタミンのような解離性麻酔薬ではこうした作用が問題になることがあるかもしれない。ケタミンを少量投与すると、離人感・非現実感、体外離脱体験、健忘および命令を遂行しようとする意欲の喪失などの状態が引き起こされる。投与量を増やすと、開眼しながらも夢うつつのような無表情で凝視するという特異な状態が出現する。神経画像データでは、このとき局所的な複雑な様式の代謝性変化が発生していることが示されている。例えば、前帯状皮質および大脳基底核における、行動遂行に関わる神経回路の不活性化などである(Fig. 1)。ケタミンを投与したときの、開眼しているのに反応しない状態は、両側の前帯状皮質が障害されたときに起こる無動無言症の症状と似ている。前帯状皮質の障害による無動無言症の患者は、質問を理解することはできるが、応答することができない。実際に、前頭葉に巨大な病変がある女性が、臨床的には無反応であると判断される状態でありながら、テニスを楽しんだり、自室の中を歩き回ったりすることを想像するよう指示されたときの皮質の活動パターンは、健常者と全く同じであったことが報告されている。したがって、臨床的に無反応であることが、必ずしも意識が消失していることを意味するわけではないのである。

意識消失を来す閾値に近い量を投与すると、ワーキングメモリの働きを阻害する麻酔薬もある。この場合、患者は命令されても何をすべきかを即座に忘れてしまうため、従命動作を行うことができない。意識消失を来すよりもずっと少ない投与量では、このような麻酔薬は高度の健忘を引き起こす。筋弛緩薬投与前に上肢にターニケットを巻き駆血する実験を行ったところ(上肢以外の全身に筋弛緩作用が及び動かない状態でありながら、手だけは動くようにするため)、全身麻酔下の患者は時として手の動きで意思疎通を図ることができることが分かった。だが、術後この患者に尋ねてみたところ、術中に覚醒していた瞬間は一度もないとのことであった。つまり、逆行性健忘は意識消失の証拠とはならないのである。

従命動作消失と平坦脳波出現(脳の電気的活動が消失していることを示す。脳死診断基準の一つでもある。)との間のいずれかの麻酔深度において、意識が消失するはずである。したがって、脳の機能をモニタリングすることによって麻酔中の意識状態評価の精度が向上する可能性がある。このようなモニタの一つであるBISは、前頭部における脳波を記録し、得られた複雑な信号を変換して患者の麻酔深度を単純な一つの値として数字で表すものである。これによって意識レベルの持続的なモニタリングが可能となる。このような機器を利用すれば、麻酔薬投与量の指標を得ることになり、術中覚醒の発生を防ぐことにもつながる可能性がある。しかし、BISをはじめとする麻酔深度モニタは、意識があるのかないのかを単純明快に示すほどの性能は持ち合わせてはいない。特に、意識がある状態とない状態の境界領域における精度は劣っている。前述の上肢のみを駆血する手法を用いた研究では、BISで意識が消失していると判断される値が表示されていても、対象患者は術中に覚醒し反応を示すことができた。意識が生起する背景にある神経の情報処理過程を検出するには脳波では感度が不足しているのかもしれないし、我々はまだ依然として探究すべき課題を十分に見いだしていないのかもしれない。

教訓 反応が見られないからといって意識が消失しているた判断するのは早計です。また、逆行性健忘は意識消失の裏付けにはなりません。
コメント(2) 

コメント 2

SH

>平坦脳波出現(脳の電気的活動が消失していることを示す。脳死診断基準の一つでもある。)

平坦脳波はあくまで,「頭皮上から観測される脳の電気現象が認められない」というだけで「脳の神経細胞の活動がすべて停止しているわけではない」ことを理解しておく必要があります.EEGとECoG(皮質脳波)の違いを考えて下さい.脳の表面から直接記録するECoGの場合にはmVオーダーの電位が取れますがEEGは頭皮や頭蓋骨を通しているためにμVオーダーでしかありません.
そこのところを間違わないようにしなければなりません.
by SH (2010-11-01 16:31) 

vril

SH先生、お久しぶりです。ご来訪ありがとうございます。

普通の脳波は、脳の活動を詳細に調べるには粗すぎて、意識が消失する瞬間を捉えたり、意識とは何かを探索したりするのには向いていないかもしれないということですね。勉強になりました。

意識が発生する仕組みや麻酔薬の作用機序の解明は、今後の新しい展開が大いに期待できる分野ですね。毎日当たり前のように麻酔を行っていますが、摩訶不思議なものなのだという認識を新たにしました。
by vril (2010-11-02 07:45) 

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