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高濃度酸素投与は有害か? [anesthesiology]

Anesthesiology 2007年5月号より

Hyperoxia-induced Tissue Hypoxia: A Danger?

酸素を投与すると血液および組織の酸素化が改善するとかねてより考えられている。しかし、高酸素症は徐脈を招き、心拍出量は低下する。そのため酸素運搬量は期待したほどには増加しない。酸素投与によってかえって組織への酸素運搬量が減少する機序について、心拍出量低下とは別の現象が関与している可能性があることが最近喧伝されている。動物および健常者を対象とした実験の結果から、吸気酸素濃度が十分に高いと換気量が増加する可能性があることが示唆されている。この現象の原因として、活性酸素産生量増加によって脳幹の二酸化炭素化学受容体が直接刺激されるとか、正常酸素量の場合に作動する抑制系入力が酸素投与によって減少するとか、Haldane効果によって脳幹の二酸化炭素分圧が上昇するといったような機序が考えられている。酸素投与が換気量増加につながることが実験から明らかになったことを受け、高酸素症に起因する過換気によって低二酸化炭素症が起こり、その結果「低酸素症」を惹起するほどの臓器血流低下が発生する可能性があるのではないかという推測が広まった。現在では、この推測を基に実際の治療場面において意思決定を行っている臨床医も出てきており、この概念について検討した臨床系論文も発表されている。

高酸素症下では二酸化炭素の血中含有量が減少する。これは「Haldane効果」として知られ、酸素とヘモグロビンの親和力が高まるため二酸化炭素がヘモグロビンから遊離することによって起こる現象である。このことから、二酸化炭素のヘモグロビン結合度低下の結果、静脈血および組織の二酸化炭素分圧が上昇するという主張が存在するのである。脳幹の二酸化炭素分圧が上昇し水素イオンが蓄積すると、中枢性化学受容体が刺激され過換気が発生し、過換気は動脈血低二酸化炭素症につながり脳を含む臓器の血管床における血管収縮が起こると考えられている。この仮説から、酸素を投与すると組織血流量が低下し、組織低酸素症を招来するという考えが導かれるのである。

この考えの理路には以下のような瑕疵がある。第一に、高酸素症になっても酸素含有量の増加分を打ち消すほどには血流量は減少せず、したがって実際には酸素投与によって酸素運搬量は増えるのである。第二に、組織中に二酸化炭素が蓄積すればアシドーシスが起こり、血管収縮を打ち消すような作用が発揮される。第三に、低酸素状態ではHaldane効果によって臨床的に看過し得ない程度の二酸化炭素分圧変化が起こることもあろうが、正常~高酸素モデルにおいてはHaldane効果による二酸化炭素分圧の変化はごくわずかなものに過ぎない。第四に、実験結果に基づき高酸素症が過換気につながる可能性を指摘する研究者たちがいて、ある論文ではこのようにして発生した過換気によって臨床的に有意な低二酸化炭素血症に陥るという説が紹介されたが、その根拠は薄弱である。この仮説を展開した論文中で引用された研究のうち、実際に動脈血二酸化炭素分圧を測定していたのは一編のみであったのである。この一編の研究によれば、酸素呼吸をさせた健常被験者6名のうち5名において動脈血二酸化炭素分圧低下が観察されたとはいうものの、低下の度合いはわずかであった(平均2.5mmHg低下)ということである。一方、たとえ3ATAまでの高気圧環境下で100%酸素を投与しても動脈血低二酸化炭素症にはならないことがその他複数の研究で明らかにされている。健常者を対象とした研究では、1ATA空気呼吸と3ATA100%酸素呼吸を比較したところ、動脈血二酸化炭素分圧はそれぞれ37±2.9、36±2.6mmHg(mean±SD)であった。3.5ATAの高気圧酸素下における研究では中等度低二酸化炭素症が発生すること(平均5mmHg低下)が分かっているが、このような研究で見られるような異常に高い酸素分圧(約2100mmHg)では、酸素そのものによる毒性によって過換気が惹起されているものと考えられる。

酸素投与による低二酸化炭素症という現象は、酸素投与下における換気量の増加または呼気終末二酸化炭素分圧の低下のいずれかのみを観察し推測されたに過ぎない。このような観察結果は呼吸生理学的機序からもっともらしく説明することもできる。一例として、高濃度酸素に曝露されると無気肺が生じ肺コンプライアンスが低下し、それに呼応して換気量が増えるという機序を演繹して説明することができる。また、無気肺になると換気血流比の低い肺胞やシャントが増えたりするため、動脈血二酸化炭素分圧を正常に保つため正常範囲の換気が行われている肺胞の換気量が増えるという機序を根拠とすることもできる。確かに健常被験者に100%酸素を呼吸させるとガス交換に変化が認められる。この変化の実体は生理学的死腔の増加であり、換気量が増加するのに動脈血二酸化炭素分圧が変化しないことから説明がつく。だが、Rederらは100%酸素呼吸下でも換気血流比分布は変化せず、過換気も低二酸化炭素症も認められなかったとしている。

結論:健常者、非健常者を問わず酸素を投与すれば血液および組織酸素化が改善することを示す根拠は数限りなく存在する。大気圧下で臨床的にあり得る範囲内の高酸素症でも過換気を引き起こすことがあるが、その原因としてもっとも考えられるのは、無気肺とそれによる換気血流比ミスマッチから生理学的死腔が増加することである。さらに、無気肺により肺コンプライアンスが変化すると反射的に換気が促進される。その結果呼気終末二酸化炭素分圧は低下するが、有意な動脈血低二酸化炭素血症は伴わず、虚血や低酸素症も引き起こさない。酸素呼吸によって動脈血二酸化炭素分圧はわずかに変化することはあるが、動脈血二酸化炭素分圧を直接測定した数多くの研究からは、酸素投与によって動脈血二酸化炭素分圧が有意な変化を示すと言えるような一貫した根拠は見出せない。動脈血二酸化炭素分圧が低下するという観察結果を発表している論文も少数存在するが、学術論文としての重要性は低く、臨床的にもあまり参考にはならない。短期間の高濃度酸素投与は組織酸素化に不利に作用することはなく、安心して実施してよい。

教訓 100%酸素はいけない、という意見もありますが、導入中や抜管前の100%酸素投与は問題なさそうです。
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看護師ですがSSI関連でおたずねです

一昨年、高濃度酸素がSSI予防に貢献すると文献にのってから、当院で全身麻酔術全症例にリザーマスクでの高濃度酸素使用(2時間)が開始されました。しかし、眼科や泌尿器科など皮切しなし症例にも多用されており、もともとの根拠が違うし、不必要に酸素飽和度をあげておくこと、コストもかかると反対しましたが、麻酔科の強い主張もあり、結論をくつがえすことができません。酸素療法は適切に行うべきと思い、無気肺の問題や酸素化のみにとらわれていることに疑問を感じ得ませんが、どう主張すればいいかアドバイスいただけると助かります
by 看護師ですがSSI関連でおたずねです (2010-02-02 11:30) 

vril

周術期酸素投与によるSSI予防効果を示した論文のうち、人口に膾炙しているものとして2005年にJAMAに掲載されたものがあります(F J Belda et al, "Supplemental perioperative oxygen and the risk of surgical wound infection: A randomized controlled study" JAMA 294;2035-42)。この文献を貴施設が参考にしたものとすれば、「もともとの根拠」というのは下部消化管手術においてのエビデンスという意味でしょうか?日常臨床では、限られた条件において得られたエビデンスを比較的広範囲に帰納することは往々にして見られます。眼科や泌尿器科の全身麻酔手術後に上記文献を参考に高濃度酸素を短時間投与することを「根拠が違う」と言って指弾することはできないのではないかと考えます。また、SSIの定義から自明だとは思いますが、皮切を加えない手術であってもSSIは発生します(手術対象臓器の感染)。

「不必要に酸素飽和度を上げる」とは、どのようなエビデンスに依拠されているのでしょうか? 酸素飽和度の最高値は100%であり、100%であっても「不必要に」高いとは言えないと思います。酸素飽和度ではなく動脈血酸素分圧の意味だとしても、マスクによる酸素投与では、本記事にあるとおり酸素毒性が憂慮されるほどには酸素分圧は上昇しません。PACU入室患者(脊髄クモ膜下麻酔後の患者を含む)に対し、必ずしもルーチーンで酸素療法を行う必要はない、という意見はあります。しかしこれは、医師が常駐し、術後の全身状態に対するvigilanceが確保され、低酸素血症の診断・治療を遅滞なく行える状況におけるエビデンスです。酸素療法の要・不要を適切かつ迅速に見極めることも、術後の予期せぬ異常の早期発見・対処も、人的資源の制約のため困難な、日本に遍在しているふつうの外科系病棟において、全身麻酔後に選択的な酸素療法を行うことを支持するような英文文献は、管見の及ぶところ存在しません。

無気肺の問題や酸素化「のみ」に「とらわれている」と書かれていますが、酸素療法の第一目的は低酸素血症の予防や是正です(予防効果はないというデータもありますが)。SSI予防効果は酸素療法の好ましい副産物に過ぎません。貴施設の麻酔科医諸氏が、術式を問わず全身麻酔後には酸素療法を実施することを主張しているのは、貴施設における術後患者管理態勢を踏まえた上で、低酸素血症という間髪を入れず対応しなければ致死的となり得る術後合併症を懸念なさっているからではないかと推察します。全身麻酔後のマスクによる短時間酸素投与を否定するエビデンスは存在しないので、ご期待に添うアドバイスを差し上げることはできません。悪しからずご了承下さい。

by vril (2010-02-02 16:15) 

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